時速400キロで走る芸術、ブガッティのデザイナーが選ぶ「ヴェイロン」5選
300台のクーペと150台のグランスポーツのすべてが、一級の芸術品であるブガッティ「ヴェイロン」。そのなかでも特にブガッティのデザイン・ディレクターが選出した思い入れのある5台を紹介しよう。
生まれる前から伝説となった「ヴェイロン」
アメリカ、カリフォルニア州パサディナのアート・カレッジ、アート・イン・プフォルツハイムを卒業後、1993年にポルシェのバイザッハ研究所でデザイナーとしてのキャリアをスタート。
1996年にはVWグループに移籍した後、2004年からブガッティでデザイン・ディレクターの職を務めるのが、アキム・アンシャイト氏だ。
VWグループで復活を果たしたブガッティがまず生産した「ヴェイロン16.4」は、そのプロダクションモデルが2003年のフランクフルトショーで、そして正式なワールドプレミアは2005年の東京モーターショーでおこなわれているから、アンシャイト氏はちょうどその間に、誕生まもない新生ブガッティへと移籍してきたことになる。
すでにヴェイロン16.4の生産は終了し、クローズドボディのヴェイロン16.4が300台、2008年に誕生したタルガトップ・デザインの同グランスポーツが150台、10年間にわたりカスタマーのもとへと送り届けられた。
現代における最初のハイパー・スポーツカー。
世界記録を樹立し、自動車デザインの肖像となったモデルとして、ヴェイロン16.4はデビュー時から1001psを実現。最高速は407km/hを達成。0-100km/h加速では2.5秒を記録している。
これらの数字は現在でもなお、ライバルにとって注視される存在といってもよい。
300台のクーペと150台のグランスポーツ。そのなかにはとりわけ特別なモデルも、ファクトリーではなくアトリエと呼ばれる、フランスのモルスハイムの工場で生産されてきた。
そのなかでアンシャイト氏が特に印象に残る5台のパーソナル・フェイバリットを回想してくれた。
●ヴェイロン16.4・プル・サン
2005年にワールドプレミアがおこなわれると、ヴェイロン16.4には、すぐに多くのカスタマーからのオーダーが入った。ブガッティではデビュー時から、エクステリアやインテリアの仕様などを選択できるフル・オーダーの体制を整えていたが、同時に限定車発売の計画もあった。
アンシャイト氏は、初めてその最初の限定車となった「プル・サン」を見た時の印象を、「最初の子供が生まれた時の感動的な出来事のようだった」と語る。それは「けして忘れることのできない深く刻まれた記憶である」とも。
プル・サンの特徴は、カラーリングではなく、カーボンファイバーとアルミニウムのパネルを無塗装とし、それにクリアコートを施すことで、素材の色をそのまま生かしたツートーンのカラーを採用したこと。
発表は2007年のフランクフルトショーでおこなわれたが、当時140万ユーロ(当時の邦貨換算で約2億2000万円)のプライスが掲げられたにも関わらず、わずか45分で限定の5台はソールドアウトしてしまった。
●ヴェイロン16.4・スーパースポーツ
デビューから5年後、2010年のペブルビーチ・コンクール・デレガンスでデビューを飾ったのが、「スーパースポーツ」だ。この時アンシャイト氏が掲げたコンセプトは、「form follows performance」。性能がデザインを作り出す。というものにほかならなかった。
つまりこのスーパースポーツの形状には、より高性能を得るために機能を果たさない、すなわち無駄なものはないとアンシャイト氏は断言してみせたのだ。
リアミッドに搭載されるエンジンは、より大型化されたターボやインタークーラーの採用で1200psにまでパワーアップされ、ドイツ北部のエーラ・レッシェンでおこなわれた最高速テストでは、平均で431.072km/hを達成(市販モデルの最高速は415km/hに制限)。
スーパースポーツはその後、30台が限定販売されたが、そのうちの5台はカーボンブラックとオレンジのツートーンカラーからなる「ワールドレコードエディション」とされ、一瞬で完売している。
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