アルファ ロメオ8Cにまつわるアナザーストーリー3選
ストーリー2:一度は消えた……? ブレラ・コンセプト
ところで、2003年のショーモデル発表当時には「スポルティーヴァ・エヴォルータ=8Cコンペティツィオーネ」といわれていたが、この時代のメディアや識者の間では、デザインコンペで競ったライバルの存在も噂に上っていた。
そのうちの最右翼と目されたのが、先立つこと一年前の2002年のジュネーヴ・ショーにて、イタルデザイン-ジウジアーロのデザインスタディとして初公開された「ブレラ・コンセプト」である。
8Cコンペティツィオーネと同じく、マセラティ系のV8ユニットをFRレイアウトで搭載したブレラについては、スポルティーヴァ・エヴォルータのデザインコンペでザパティナス(チェントロスティーレ)案に敗退したのち、イタルデザイン社が自社ブランドとしてショーデビューさせたという経緯があった……?とされている。
ところが、くだんのジュネーヴ・ショーで予想以上の人気を博したこと、それに加え翌月に開催された「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」にて、初めて設定されたコンセプトカー部門の初代金賞に輝いたことから、ブレラに対する風向きは大きく変わることになる。
この2002年のヴィラ・デステには筆者も臨席し、ブレラ・コンセプトとイタルデザインの受賞が場内にアナウンスされた際には、まったくの偶然でファブリツィオ・ジウジアーロ氏のすぐ傍らにいた。
そして父ジョルジェット・ジウジアーロ氏とともに、フィアット・グループ首脳陣たちの輪の中心に迎えられ、ヴィラ・デステではあとにも先にも見たことがなかったほどの熱い拍手喝采が贈られる親子の姿を目の当たりにし、ブレラはこのまま終わらないことを直感的に確信したものだ。
さらに、ザパティナス氏が突然チェントロスティーレから退職してしまった(のちに日本のスバルに移籍)こともあって、当時のアルファ ロメオCEO、ダニエッレ・バンディエラ氏はイタルデザインに再接近。次期主力ベルリーナ(のちの「159」)の総合デザインを待たずして、「156」/「166」のフェイスリフトもジウジアーロへと委託するに至る。
そして、一度は消える運命にさらされたブレラにも、再び光が当てられることになる。
FFおよびAWDレイアウトへと転向した生産型ブレラが、2005年のパリ・サロンにて正式デビュー。より安価な量産クーペ「アルファGTV」の後継車となったのである。
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