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ランクルのようなレクサス、「LX450」とは?
一見すると、前世紀末のランドクルーザー? と勘違いさせられてしまったのは、レクサス・ブランドが初めて手掛けたプレミアムSUV「LX450」であった。
●レクサスLX450:1997-1998
1997年から1998年まで、主に北米マーケットで発売されたLX450は、同時代のトヨタ「ランドクルーザー」80系がベースモデルとなる。
搭載されるパワーユニットは、直列6気筒DOHC4.5リッターの1FZ-FE型ガソリンエンジン。フレームは伝統のラダー式で、サスペンションは4輪ともコイルスプリングによるリジッドと、いずれもランドクルーザー80系と共通とされていた。
まだ「レクサス」ブランドとしてのキャラクターが確立していなかった時代のものゆえか、ランドクルーザーとの違いは決して大きなものではなく、ラジエーターグリルやヘッドライト、フロントバンパーから構成されるノーズ周辺をより重厚なデザインとした程度だ。
アロイホイールをLX専用の意匠とし、レクサス「LS400」(当時のトヨタ・セルシオ)にも匹敵する高品位のペイントワークを施したとされるものの、当時のランドクルーザーも既になかなか上質なフィニッシュであったことから、決定的な差異は見られない。
一方インテリアは、この時代に世界を席巻していた元祖高級SUV、英国「レンジローバー」の影響だろうか、本革シート/ドアパネルにウッドキャッピングなどの天然マテリアルがふんだんに奢られ、ランドクルーザーよりもさらに上質な仕上げとなっていた。
レクサスLXシリーズは、ランドクルーザー100系をベースとする、V8エンジンの後継車「LX470」で初めてブレイクを果たしたのだが、その前段階に市場調査的な要素も帯びて販売されたとも言われるLX450は、デビュー時におけるマーケットの評価もイマイチ。生産期間が短かったこともあって、当時から北米でもけっこうレアなモデルだったという。また、レクサス販売網が展開される前の日本では、もちろん正規の発売はおこなわれなかった。
並行逆輸入で、再び日本の地を踏んだ車両もあるのかもしれないが、その数は極めて少ないに違いない。
●ダットサン200SXレーシング:1977
神奈川県座間市の「日産ヘリテージコレクション」から出張展示された、1969年のレーシングプロトタイプ・ニッサン「R382」の両サイドを固めるかたちで並べられた、いかにもアメリカンな雰囲気を漂わせる2台のレーシングカーがあった。特に右側のマシンは、間違いなく日本国内で見るチャンスは皆無に等しいと思われる1台だ。
それは、アメリカ合衆国の市場ではダットサン「200SX」の名で販売された2代目日産「シルビア」をベースに、1960年代からダットサン車とともにモータースポーツ活動をおこなってきたドライバー、ボブ・シャープが率いる「ボブ・シャープ・レーシング」が大改造した「200SXレーシング」だ。1977年から1978年に北米SCCA選手権を戦った、生粋のレースカーである。
日本仕様のシルビアが1800ccのL18ないしはL18E(インジェクション仕様)を搭載していたのに対して、北米仕様の200SXはその名のとおり2000ccのL20Bをセレクト。それでもパワーは100ps足らずだったそうだが、このレーシング仕様ではスライドバルブ式のインジェクションなど当時最新のレースチューンが施され、200psから220psにも達したといわれている。
そしてこのマシンにおける最大のトピックは、世界的なスター俳優にしてレーシングドライバーでもあった故ポール・ニューマンが、実際にレースで走らせたことであろう。
モータースポーツを題材とした映画への出演をきっかけに、1973年から「ボブ・シャープ・レーシング」でレース活動を始めた彼は、当初からダットサン「510」(日本では3代目ブルーバード)に搭乗。この200SXでは、SCCA(Sports Car Club of America)選手権の懸かったロード・アトランタのレースでB-セダンクラス3位に入賞するなど、往年の名優がレーサーとしてもジャンプアップするための、重要なジャンピングボードになったとも考えられるのだ。
ちなみに、ニッサンR382を挟んだもう一台、左側のNISSAN「300ZX」(日本では3代目フェアレディZ)」もポール・ニューマンの乗ったマシンだ。チームの共同経営者となり「ニューマン-シャープ・レーシング」からIMSA選手権に参戦した個体だが、こちらは日本でも比較的名が知られているので、今回は200SXをメインに取り上げさせていただくことにした。
LZ20は生粋のレーシングユニットで100PSなんてことは絶対ありえませんよ?