バブル時代に滑り込みセーフ! ジャガー「XJ220」は奇跡のスーパーカーだ!!
1980年代後半、あるエンジニアの夢に端を発する「XJ220」プロジェクトが始動した。最高速度220マイル(352km/h)達成を目標に、時代の趨勢に振り回されながらも市販化を果たした奇跡のスーパーカーの物語である。
最高速重視の正統派レーシングカー・スタイルを貫いたジャガー「XJ220」
ちょっと変わった角度から、スーパースポーツカーを眺めなおしてみたいと思う。角度を変えて、どこを見て欲しいのかというと、各モデルにおけるショルダーラインあたりの形状とその面積、である。
自動車を真正面から見て、キャビンを頭と首に見立てれば、肩に相当する部分だ。
とはいえ、通常のクルマには、ショルダーラインこそあっても、そこに「肩」といえるほどの膨らみなどほとんどない。
何せ、せっかく確保した「横幅」なのだ。居住性を追究するため、その幅をギリギリまでキャビン幅に使いたいものだからである。ミニバンはその極端な例で、肩などまるでない。一般的な乗用車では、さすがにそこまで開き直ると単なる積み木の箱になってしまうので、望ましいキャビンスペースを確保さえすれば、キャビンを多少上に向かって絞り上げ、格好いいスタイルと空力性能を両立しようとする。
一方、ミニバンの対極、つまり肩のある際たるクルマはといえば、フォーミュラマシンである。キャビンにあたる部分をほとんど人間一人分にまで絞り、まるで「怒り肩」のようにサイドポンツーンを張り出させた。小顔である。
こんどは、グループCカーやスポーツプロトタイプなど、純粋なキャビン付きレーシングカーを思い出してほしい。ベンチのように張り出した「肩」に、必要最小限の丸いキャノピー風キャビンが設えられている。だから、ドアの開閉方法はディへイドラルタイプが多い。
この、「肩」に注目して、いまいちどスーパースポーツたちを眺めてみれば、よりレーシングの血統に近いモデルが、肩幅をより拡げていることが分かる。
たとえば、ジャガー「XJR15」やメルセデスベンツ「CLK-GTR」はCカーそのものだから、立派な肩がある。そこまでいかずとも、レースフィールドの存在を強く感じさせるマクラーレン「F1」やフェラーリ「F40」&「50」、さらには21世紀のスーパーマシンであるポルシェ「カレラGT」や「エンツォフェラーリ」など、極限のパフォーマンスを誇ったスーパースポーツには、必ず大きな肩が存在したものだ。
パガーニ「ゾンダ」やケーニグセグ「CCシリーズ」、グンペルト「アポロ」といった、最近のウルトラスーパーカーもまた、レーステクノロジーからのフィードバックを大いに受けていたのだろう、一様に肩幅が広い。ブガッティ「EB110」もまた、しっかり肩のあるタイプだった。
一方、フェラーリやランボルギーニといった通常シリーズのミドシップスーパーカーたちはどうだろうか。
お気づきのように、肩幅が実は狭い。「ガヤルド」も「アヴェンタドール」も、「458イタリア」にも、キャビン下に肩がほとんどない。レーシングカーというよりも乗用車に近い。つまり、これらのスーパーカーたちは、レーシングカー級の性能は望むけれども、空力と居住性のどちらを取るといわれれば、最初にまず居住性を選ぶクチ、というわけである。
大人ふたりがちゃんと座れないようなスーパーカーは、いまどき(大量に)売れるわけがないというわけだ。
さて。前置きが長くなってしまった。いよいよ、ここからが本題のジャガーXJ220の話である。
まずは、同様に肩の観点から、このクルマを眺めてみてほしい。実はこのクルマも、肩がとても狭い。そのくせ、Cカーのように、いかにもレーシングカー的な流れるシルエットをもっている。
低く、長く、ワイドなのに、肩がほとんどない。そして、ドアは大きく、キャビン幅が割と広い。いったいレーシングカー寄りなのか、ふつうの車両寄りなのか、だいたい区別がつくスーパースポーツの世界にあって、異質だ。
この、スタイルと肩の関係から導き出されるXJ220最大の特徴がひとつある。それは、レースとラグジュアリーの本格的な融合、だ。このクルマの本質を語るときに、それは欠かせないキーフレーズのひとつになるだろう。
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