亜久里・右京も活躍したF1チームの元オーナー、御年80歳のジェラール・ラルースとは
あのF1チーム「ラルース」のオーナー
最終的に、ジェラール・ラルースは1973年と1974年の2回、ル・マン24時間耐久レースで優勝している。この際はマトラ・シムカ「MS670」に乗り、フランス人のアンリ・ペスカローロと組んでの優勝だった。
またルノー・レーシングチーム監督として、1978年にはポルシェを抑えて優勝した。1979年にはF1でルノーが初のグランプリを制している。
日本人にとってジェラル・ラルースが馴染みの深い名前なのは、その後F1チーム「ラルース」のオーナーになり、自ら率いたそのチームで日本人ドライバーが活躍したからだろう。
ラルースは1986年に、フランス人弁護士ディディエ・カルメルと共同で、自身のF1チーム「チーム・ラルース・カルメル」を設立。1988年の日本GPでは、鈴木亜久里選手がラルースのマシンでスポット参戦。このとき亜久里選手は初めてF1マシンを操縦している。
1989年にチーム名は「ラルース」になり、1990年には亜久里選手のスポンサーだった日本企業エスポがチーム株式を取得、亜久里選手とエリック・ベルナールの2マシン体制で参戦している。同年の日本GPでは亜久里選手が日本人初の3位表彰台を獲得した。
その後、チームは1993年に消滅したが、1992年には片山右京選手がフル参戦、1993年には鈴木利男選手が日本GPとオーストラリアGPにスポット参戦するなど、いまも記憶に残っている。
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そんなジェラール・ラルースだが、ポルシェとの関わりはまだ深く、2008年にはル・マン24時間ドライバーズクラブの会長に就任している。またポルシェブランドのアンバサダーとして、とくにヒストリックカーイベントなどではジャーナリストから質問が殺到するという。
ラルースは現在は引退し、マルセイユで元気に過ごしている。
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