ブガッティEB110は、究極のカウンタック進化系だった!【THE CAR】
現在のブガッティは、「ヴェイロン」で復活し、「シロン」へとバトンタッチをして、ラグジュアリーなハイパーカー界で絶対的な存在である。しかし、1990年代にブガッティが一瞬だけ蘇った時がある。そのときに誕生したのが、「EB110」だ。いま、この不遇のスーパーカーEB110に、注目が集まっている。
ミハエル・シューマッハも愛したブガッティEB110の数奇な運命
それ以前でもなく……。それ以降でもない……。その瞬間の唯一的、存在の強さ。
ブガッティ「EB110GT」、という名前には、もはや、いかほど意味もないだろう。現代はおろか、昔のブガッティとも関わりのないクルマ、と思っておいた方が随分とすっきりする。このクルマの正当な価値を思い出すという意味でも、かえってためになるだろう。
BUGATTIなどと、なまじ名乗っているから、損をする。たとえば、このスーパーカーを愛したかのF1ドライバーの名を戴き、語ればどうなったか……。
さしずめ、名刺に刷り込まれた会社名と肩書きを外してなお、向き合ってみたいヤツ、といったところである。
走行距離3000km。素晴らしいコンディションの110GTが目の前にある。ポルトラナフラウのインテリアの発する匂いが、ボディパネルを透けて漂ってきそうな状態。生産台数はわずかに150台程度で、これは「クンタッチLP400」や「ディーノ206GT」、さらには「ミウラSV」と同じほどの数だから、その稀少性を疑う余地などない。このコンディションで売り物があるというだけで、奇跡というものだ。
無駄のない、シンプルともいえるスタイルを真横からじっと眺めていると、スーパーカーキングの姿が透けてみえてくる。
やっぱり、というべきか。クンタッチの理想型により深く迫っていたのは、後継モデルの「ディアブロ」よりも、むしろこのクルマの方だったというわけか……。
良く知られているように、最終的なEB110のこの姿は、まるで初期のマルチェロ・ガンディーニ作とは異なっている。ザガートが引き受け、さらに当時のブガッティにおいてフィニッシュされたというのが通説である。パオロ・スタンツァーニを含め、「チーム・クンタッチ」の精鋭が関わっていたのは、ほとんどコンセプトワークの領域までで、完成したモデルとの表面的な繋がりは皆無であるらしい。
けれどもEB110のスタイリングには、内に秘めたるエンジニアリングの魂や願望、意志、気骨、執念といった様々の力がかすかに滲んで形而上的な血統を偲ばせており、それが真横からみた、フロントからリアへと絶妙に波を打って流れるサイドラインのような形而下となって現れた、と思うのは、好き者の強引な思い込みだろうか。
例えば、LP400S以降のクンタッチやディアブロあたりとは違って、ド派手なエアロパーツをまとわないという点はどうだろう? これみよがしのレーシングカー的空力デバイスを嫌ったのは、紛れもなく、スタンツァーニその人だった。
クンタッチをスーパーカーキングとするならば、ブガッティEB110 GT&SSもまた正統な王位継承の資格をもつ。
直線と曲線が融合したスタイリング、側面から絞り込んだ小さなキャビン、おどろおどろしいフロントフェイス、アルミハニカム入りのカーボンパネル、スィングアップドア、カーボンモノコックボディ、オフセット縦置き12気筒エンジン、クワトロターボチャージャーに4WDシステム、そして最高速度は340km/hオーバー……。そのひとつひとつに、スタンツァーニがクンタッチの進化版として1970年代から描いていたスペックの〈節々〉を聞くことができるのだから、それは当然というもの。
繰り返すが、今となっては何の意味もなさない、エットーレ・ブガッティ生誕110周年を意味する車名が与えられたモデナ生まれのスーパーカー、EB110。ブガッティの名を外してなお、その出自から、数奇な運命、関わった人間模様まで、光と影、陽と陰、正と邪が複雑に交差する様子すべてが実に〈スーパーカー〉らしい。
だってかっこわるいんだもん。
スクープされていたガンディーニのデザインで出しておけばもう少し売れたんじゃないの。
当時の経営スタッフが「これはブガッティの車であってガンディーニの車ではない」なんて言って当時すでに落ち目だったザガートにまかせるなんてアホとしか思えんわ。
あとカウンタックじゃいかんのか?