世界中で好調なフレンチスポーツ「アルピーヌ」 どんな歴史と物語がある?【ブランド考察】
2016年に復活を遂げたフランスのスポーツブランドがアルピーヌだ。現代に蘇った「アルピーヌA110」は世界中で話題となり、一時は3000台ものバックオーダーを抱えるほどだったという。ハイパワースポーツモデル「A110S」も日本に上陸をはたしてまた注目されているが、アルピーヌというブランドを考えてみた。
WRCなどのラリーやレースシーンで活躍した往年のアルピーヌ
アルピーヌは1955年にジャン・レデレによって創設された。彼は父親と一緒にルノーのディーラーを営んでいたが、ラリードライバーでもありモータースポーツ好きが昂じてクルマづくりまで始めたのだ。
フランス語でアルピーヌとは「高い山」を意味する。「(アルプスへと続く)ワインディングロードを快適にドライブするクルマ」これがアルピーヌの目指すクルマづくりなのだ。
ジャン・レデレはルノー車を改造してレースに参加していた。
最初は「4CV」をベースにしてボディをFRPにするなどの軽量化を図り、高い戦闘能力を持たせた「アルピーヌA106」のプロトタイプでミッレミリアに参戦し、750cc以下のクラスで優勝するなど活躍した。
1956年に「アルピーヌA106ミッレミリア」の市販を開始し、1962年まで生産された。このモデルのデザインはジョヴァンニ・ミケロッティが担当した。現代のA110の原型となる「アルピーヌA110」がデビューしたのは1962年3月である。これがのちにアルピーヌの代表車種になる。
ジャン・レデレが主宰するアルピーヌがモータースポーツ活動でルノーと提携したのが1965年だった。
ルノーにとって、レースやラリーで良い成績を収めるためのパートナーとしてはもってこいの存在だった。1971年にはモンテカルロラリーで初優勝、1973年にはWRC(ワールドラリーチャンピオンシップ)でコンストラクターズタイトルを獲得した。
1964年から1972年までの間にシングルシーター/ラリー/プロトタイプの3部門でタイトルをとった初めてのメーカーになった。モータースポーツに参戦しながらも、1972年には「ポルシェ911」に対抗するような「アルピーヌA310」を世に送り出した。もちろんRRだった。
競技の成績は絶好調でも、アルピーヌの経営自体は危うかった。結局アルピーヌの株式がルノーに渡り、アルピーヌはルノーに買収されることになった。結果論としてはこれがうまくいき、ルノーのモータースポーツ部門として活躍することができた。1978年には「アルピーヌA442B」がル・マン24時間レースで初優勝を遂げることになる。
1978年にジャン・レデレはルノーを離れたが、アルピーヌのブランドはファンの心に残っていた。1991年から1995年まで生産した「アルピーヌA610」を最後に一旦ラインナップから消えたが、2017年に登場した新生「A110」で復活した。
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