「なんで右側から降りられない?」 かつて片側ドアのクルマが存在した理由
かつての国産車には、後席右側にドアが無い車種が存在しました。現在では、後席の両側にドアが備わっているのが一般的でしたが、なぜかつての車種には片側ドアの車種があったのでしょうか。
1990年代には片側ドアも珍しくなかった?
最近のクルマでは、前席・後席ともに両側ドアが一般的です。しかし、1990年代に発売された国産車のなかには、後席の右側にドアが無い車種も珍しくありませんでした。なぜ、片側にしかドアが無いクルマがあったのでしょうか。
1993年に発売されたスズキの初代「ワゴンR」は、発売当初は後席の右側にドアがありませんでした。また、2019年に生産終了となったトヨタ「エスティマ」も、1990年に発売された初代モデルには、後席の右側にドアがありません。
後席の人にとって不便な片側ドアですが、なぜ国産自動車メーカー各社は後席の右側にドアを設定しなかったのでしょうか。
その理由について、あるトヨタ販売店のスタッフは、以下のように話しています。
「現代ではあまり考えられませんが、当時はクルマを路駐することも多く、右側から降りることがあまり想定されていなかったというのもあるかもしれません」
路上駐車については、2006年の道路交通法改正に伴い、反則金などの制度が新設され、路上駐車をするクルマが厳しく取り締まられるようになりました。
そのなかでも、路上駐車の取り締まりについて業務委託を受けた「放置車両確認機関」の駐車監視員、いわゆる「緑のおじさん」は、路上駐車取り締まり強化の象徴として、話題になることもありました。
しかし、後席の右側にドアが無い理由はそれだけなのでしょうか。ミニバンなどの乗用車を多数販売してきた中古車販売店のスタッフは、以下のようにも話しています。
「昔は貨物などの商用車で、後席の片側にドアがないクルマが多くありました。現在『ミニバン』と呼ばれているクルマも、最初は商用車をベースにして作られている車種が少なくなかったので、片側にドアがないのはその名残ではないでしょうか。
現在のミニバンは、車種専用のシャシやボディが使われていると思いますが、当時は『4人乗り商用車を改造して、多人数が乗車できる乗用車』にした車種もあったと記憶しています。
ワゴンRなどの軽自動車に右側のドアが無かったのは、シンプルに安く販売するためという理由があったのではないかと思います。そのため、初代ワゴンRは最低限の装備で、価格も軽トラック並に安かったです」
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例えば、1982年から1999年まで販売されていたトヨタの2代目「タウンエース」は、乗用車のワゴンのほかにも、バンタイプの商用車グレードが設定されていました。
タウンエースは、のちに大ヒット車種となるトヨタ「ノア」の前身である、「タウンエースノア」とも共通のシャシとなっています。そのため、タウンエースやタウンエースノアには、後席の右側にドアがありません。
また、1997年に発売された日産の初代「エルグランド」も、日産の商用車である「キャラバン」をベースに作られています。そのため、初代エルグランドにも、後席右側にドアがありませんでした。
現在のミニバンのルーツともいえる、多人数が乗車するバンタイプのクルマは、商用車と乗用車で共通のボディを使っていたのです。
しかし、1994年に発売されたホンダ「オデッセイ」以降、ミニバンブームの到来と共に、ミニバン専用のボディが設計されるようになります。
「後席の右側にドアが無いクルマ」は、まだミニバンブームが訪れる前のクルマに多かったといえるのかもしれません。
毎回気になるが、取材や調査の仕方はいかがなものか。中身の薄い記事は車離れを助長する。グーグル以下の知識のライターは不要であると思う。
ちょっと前までの技術では、ボディの剛性が弱くて両側ドアにするとペラペラで潰れてしまうため、片側ドアにせざるを得なかったんだろ。コンピューターによる緻密な設計と解析で、両側スライドドアでもボディ剛性が保てるようになってきたのが最近という事。
記者が馬鹿すぎる。リサーチ力上げないと物書きとして失格だろ。妄想垂れ流しの無駄な記事は意味がないし、それを記載する会社も会社だ。