世界進出へのきっかけとなった名車とは!? アメリカで大ヒットした日本車5選
消えかけていたスポーツカーの火を再燃させたクルマとは!?
●マツダ(ユーノス)「ロードスター」
1989年にマツダは、国内で途絶えていたオープン2シーターモデルのユーノス「ロードスター」を発売します。
既存のエンジンを流用することで開発期間やコストを抑えつつ、マツダのエンジニアたちが目指した「人馬一体」を具現化したことで、2シーターという用途が限られたモデルながら異例のヒットを記録。
そして、アメリカでもマツダ「MX-5ミアータ」として発売されると大ヒットし、運転を純粋に楽しむライトウェイトスポーツカー市場を活性化させることになります。
搭載されたエンジンは1.6リッター直列4気筒で最高出力は120馬力とパワフルではありませんでしたが、4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションを採用した、940kgの軽量ボディを気持ちよく走らせるには十分なパワーでした。
初代MX-5ミアータはアメリカで走りを楽しむユーザーだけでなく、初めてクルマを買ってもらう高校生や大学生からも圧倒的な支持を得て、現在も幅広い年齢層から愛されています。
●トヨタ「プリウス」
1997年に、世界初の量産ハイブリッド自動車として発売されたトヨタ初代「プリウス」は、エンジンと電気モーターのふたつの動力源を使い分ける「THS」(Toyota Hybrid System)により、当時としては驚異的な低燃費を実現しました。
純粋にバッテリーのみを動力源とするEVとは違い、走行用バッテリーの充電はエンジンが担当するため外部からの充電は不要で、減速時のエネルギーを使ってバッテリーに充電する回生ブレーキも組み込まれていました。
しかし、初代プリウスは同クラスのガソリン車と比べ高額だったことや、環境意識が高まっていなかったこと、バッテリー寿命に対する懸念などからヒットしませんでしたが、2003年に発売された2代目以降は大ヒットを記録します。
アメリカでも初代は小さすぎたこともあり販売は低迷しましたが、2代目ではボディサイズを拡大したことと、市販ハイブリッドカーでは世界最高の燃費性能とトヨタの「HYBRID SYNERGY DRIVE」というブランド展開により、ヒット作となりました。
また、ハリウッド俳優をはじめとした環境意識が高いセレブがプリウスを買ったことも、アメリカでのヒットにつながったといいます。
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冒頭の510とZの成功には、当時アメリカ日産社長だった片山 豊さんが深く関わっています。片山さんは北米市場でどんなクルマなら売れるか、確信をもって本社に働きかけ、510とZをアメリカで販売することに奔走。
その結果、2台は大ヒットし、アメリカで日産車のみならず日本車が認められることにつながります。
後に日産を退職された後も度々渡米し、Z Carファンと交流を深め、親しみを込めて「Mr. K」と呼ばれました。
片山さんは2015年に105歳で亡くなられましたが、100歳を超えてもフェアレディZのイベントに参加されるなど、生粋の「カーガイ」としてファンの胸に刻まれています。
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