なぜ日本に自動車メーカーが10以上存在する? 基幹産業となるまでの歴史とは

多くの自動車メーカーが生き残りをかけておこなうグループ再編とは?

 国内GNPの拡大にあわせて、日本国内の乗用車市場も成長します。

マツダ「コスモスポーツ」
マツダ「コスモスポーツ」

 1966年にダットサン(日産)「サニー」、トヨタ「カローラ」が相次いで発売されます。“マイカー”という言葉が生まれ、ベストセラーの座を競いました。

 また、この年にはスバルから技術的に先進的な「スバル1000」がデビューしており、シャシ前部にコンパクトな水平対向4気筒を積んで前輪を駆動する合理的なレイアウトは、その後の欧州のベーシックカーを思わせます。

 1960年代後期には、個性的なスポーツカーが登場します。それは、東洋工業(当時)が社運を賭けたといわれる画期的なロータリーエンジンを搭載した、マツダ「コスモスポーツ」です。

 また、1969年に日産が2人乗りスポーツカーの「フェアレディZ」を発売し、米国では『Z-Car』の愛称で大ヒットします。

 1970年代に入り、2度のオイルショックと公害問題で、輸出で急成長してきた日本車にも暗雲が漂います。しかし、米ビッグ3も不可能だとしたマスキー法を、世界で初めてホンダ「シビック」に搭載されたCVCCエンジンがクリアします。

 この結果により、排気ガス問題を触媒などの後処理ではなく、燃焼技術で克服したホンダ製エンジンは、世界的に絶賛されました。

 1980年代のバブル経済を経て、日本車はあらゆる面で世界水準に到達しました。日本の自動車メーカー各社は、米国との貿易摩擦に対処するために競って北米に生産拠点を建設、現地生産に軸足を移しながら現在も成長を目指しています。

※ ※ ※

 日本の自動車メーカーは、海外法人との関係も含めて合従連衡(がっしょうれんこう)を繰り返しながら、1960年代とほぼ同数残っています。これは、前述したとおり世界最大の自動車市場である米国への輸出に支えられた結果です。

 もちろん、最初から左ハンドル車として設計・生産するなど、各メーカーによる仕向地に合わせた細かな商品戦略も成功しました。

 現在、日本の自動車業界は、ダイハツと日野に加えスバル、マツダが提携し、スズキにも資本参加して一大グループとなったトヨタ陣営。そして、仏ルノー傘下の日産と三菱のアライアンス、そして独立路線を貫くホンダの3陣営が覇を競っています。

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Writer: Peacock Blue K.K.

東京・渋谷を拠点とするオンライン・ニュース・エージェンシー。インターネット・ユーザーの興味関心をひくライトな記事を中心に、独自の取材ネットワークを活用した新車スクープ記事、ビジネスコラム、海外現地取材記事など、年間約5000本のコンテンツを配信中。2017年創業。

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