左ハンドルがステータスだった時代 懐かしの海外生産の日本車5選
トヨタ「カムリ クーペ」にスバル初のミニバン!?
●トヨタ「セプター」
トヨタ「セプター」は、アメリカ市場では「カムリ」として販売されていたクルマです。トヨタはホンダに遅れること2年、1984年からGMとの合弁で現地生産を開始した後、1988年にケンタッキー州に自社工場を建設し、そこでカムリの生産を開始しています。
そして、トヨタはケンタッキー州で生産された北米カムリを日本でも販売しようとするも、すでに日本国内には国内専用モデルのカムリが存在。
国内カムリと北米カムリを同じ名称で販売するのは混乱を招くので、北米カムリをセプターとして1992年に日本で販売します。
なお、当時の国内カムリの全幅は1695mmで5ナンバーサイズでしたが、一方セプターの全幅は1770mmなので3ナンバーサイズ。
かつ、この1770mmという幅は当時の日本車としてはかなり大きく、よってトヨタがこれらを別のクルマとして扱いたかったのも理解ができます。
セプターにはセダン、クーペ、ワゴンが存在しますが、このうちセダンは日本で生産され、アメリカから輸入されたのはクーペとワゴンの2モデルのみです。
セプターは、いずれのボディ形状でもアメリカ市場で好まれる曲線的なデザインで、シャープなラインを好む日本市場にはあまり受け入れられなかったのか、販売開始後わずか4年後の1996年には、販売を終了しています。
●スバル「トラヴィック」
スバル=ミニバンという印象は薄いかもしれませんが、そのスバルが2001年から2005年まで販売していたのが「トラヴィック」で、同社初のミニバンです。
トラヴィックを日本へと輸入することになった経緯は、当時ミニバンブームにもかかわらずスバルはミニバンを持っていなかったこと、スバルと提携していたGMが、傘下にあるオペルのミニバン「ザフィーラ」を世界中で広く販売したかったことから、両者の思惑が一致したためだといわれています。
そして、スバルとGMはザフィーラをベースにしたトラヴィックを生産することになりますが、このトラヴィックはGMのタイ工場にて生産されました。
ドイツで企画開発されたクルマをタイで生産することによって、割安に販売するという計画となり、実際にトラヴィックの価格は、当時ヤナセが販売していたドイツ製のザフィーラと比較して、エンジンの排気量が大きいにも関わらず最大で100万円近く安い、200万円を切る販売価格を設定することが可能となりました。
ザフィーラとの価格差によってトラヴィックは大きく販売を伸ばすと思われたものの、いざ販売を開始してみると割高なザフィーラともども売れ行きは鈍く、トラヴィックは販売開始3年後の2004年に販売を終了してしまいます。
ベースがドイツ車ということで高い走行性能を持っていましたが、ザフィーラ自体がオペルのコンパクトカー「アストラ」をベースとしているため、ミニバンとしてはやや室内のスペースが狭かったことと、スバルのクルマであるのに、4WDも水平対向エンジンも採用していなかったことが、訴求力の低さにつながっていたのかもしれません。
さらに、欧州では「ザフィーラとトラヴィックは同じクルマなのに、なんでザフィーラはこんなに高いのか(生産地の相違は問題視されなかった)」という問題が起こってしまうという、不運なクルマでした。
オペルはというと2006年に日本市場から撤退し、その後2017年にはPSAグループに買収されてしまいました。
※ ※ ※
日本の自動車メーカーが輸入した日本車は、いずれも異なる背景を持ち、それぞれの投入意図があったことがわかります。
各車とも国産車にはない、個性的なクルマばかりでした。
しかし、輸入車であることがステータスだった時代は時とともに影を潜め、いまでは単に海外生産の日本車というだけになってしまいました。
右ハンドルなら買うんだけどなーって、絶対右でもお前には買えねーだろって奴いるよね。