昭和のサービスエリア飯は不味かった? 時代に合わせて進化したSA/PA事情とは
昔のサービスエリアのご飯は美味しくないというイメージでしたが、今は違います。サービスエリアの食事が、各段に美味しくなった理由は何なのでしょう。
かつてのSA・PAのレストランはおいしくなかった
高速道路を利用するときの楽しみといえば、サービスエリア(SA)やパーキングエリア(PA)の美味しい料理やお土産でしょう。近頃では「SAやPAの料理がおいしくなった」という声も聞かれるようになりました。
しかし、その発言をよくよく吟味すると、別の意味が含まれています。それは「昔は美味しくなかったけど…」という意味です。
とくに昭和の時代のSAやPAを知っている人は、そのイメージが強いはずです。そして、サービスエリア飯はおいしくなかったというイメージには、それなりの理由がありました。
日本で高速道路が初めて開通したのは1963年(昭和38年)7月のこと。最初の高速道路は名神高速道路で、栗東ICと尼崎IC間に開通しました。
第一号のSAは大津SAの給油所で、高速道路開通の2か月後の9月に完成しました。レストランと修理所は、翌10月にできあがります。当時の日本は、まだまだクルマの性能が低く、高速道路を走るとしょっちゅう故障したため、修理所が必要だったのです。
SAはオープンしましたが、そこで問題になったのは誰が運営するかということです。高速道路やSA/PAは、道路公団という役人が管理するものでしたが、レストランや売店、ガソリンスタンドなどの運営は、お役人よりも民間に任せた方が良いでしょう。
そこで、競争入札制度で営業者を募りました。完成したSAやPAの運営は民間に任せることになったのです。
しかし、ここで日本の役人のまじめさが発揮されます。
「SA/PAは公共サービスのためにあるので、民間が営利を優先して本来の目的を逸脱しないように、厳しくチェック・指導する」ことになりました。
そこで導入されたのが、料理メニューの承認制であり、量・規格・価格の基準です。これがあることでユーザーは、どこのSAやPAに行っても、同じレベルのサービスを受けることができました。目指したのは「安くて、早くて、おなかいっぱい」です。
実際に、その水準を守るために、公団のスタッフは定期的にSAとPAを巡って味が一定かどうかをチェックしていました。「朝から晩まで、ずっと同じ料理を食べ続けるのは辛かった」という話を聞いたことがありますが、それでも実施するとは、なんとまじめなことでしょう。
「安くて、早くて、おなかいっぱい」というサービスは、1960年代から1980年代の初めごろまでは問題なくユーザーに受け止められていたようです。
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