バブルの申し子はライバルも強烈 4代目の日産「フェアレディZ」はイメージを一新
4代目「フェアレディZ」は、ベルリンの壁崩壊や天安門事件に世界が揺れた1989年に登場。バブル真っ只中の日本でも人気を集めた4代目は、当時の国内メーカー自主規制となる280PSを初めて達成しました。
イメージを一新した4代目「フェアレディZ」
元号が「昭和」から「平成」になりバブル経済が絶頂期を迎えていた1989年、日産は北米市場のみならず、世界に通用する完璧なスーパースポーツカーを目指した4代目「フェアレディZ」(Z32型)を発売しました。
4代目「フェアレディZ」は、初代から3代目まで続いた「ロングノーズ・ショートデッキ」の古典的なスポーツカールックを脱ぎ捨て、張り出した前後フェンダーで3ナンバー専用の新世代スポーツカーらしい姿へ変貌。バリエーションは2シーターと4シーターの「2by2」の2タイプでした。
ワイドな車幅と低い全高が醸し出す「獲物を狙う野獣」のような迫力あるルックスで、日本国内はもちろん、世界中のスポーツカーマニアからの注目を集めました。なお、当時のコマーシャルに使われた「スポーツカーに乗ろうと思う」というキャッチコピーが話題に。
エンジンは、「シーマ現象」という言葉を作った初代「セドリック/グロリアシーマ」(FPY31型)に搭載されていた、255PSを発揮する3リッターV型6気筒DOHCターボエンジン「VG30DET型」をベースに、ツインターボ化した「VG30DETT型」を搭載。
4代目「フェアレディZ」の出力は280PS(輸出仕様は300PS、NAモデルは230PS)を誇り、当時の国内自動車メーカーの自主規制上限に設定されるきっかけになったといいます。
その加速性能は、AT車でもスロットルペダルを床まで踏みつければリアタイヤからスモークが上がるほどのトルクあふれるものでした。元々、余裕あるトルクを生む3リッターエンジンをツインターボ化したことで、高速道路での追越し加速などは他車では味わえないダイナミックなものになり、ポルシェやフェラーリとも対等に走れるクルマに仕上げられていました。
インテリアのデザインも洗練されたものとなり、1980年頃からの「サニーもZもみんな似たようなもの」と酷評された、質感の低いインパネも改善され、ドライバーを包み込むような上質なスポーツカーにふさわしいものになりました。
一方、1989年8月、4代目「フェアレディZ」の発売からわずか1か月後に、日産は「スカイラインGT-R」(R32型)を16年ぶりに発売。「フェアレディZ」のライバルが同じ会社から登場したカタチとなります。
一部では「日産は、またダットサンとプリンスを分割するのか?」と揶揄されましたが、2.6リッター直列6気筒DOHCツインターボエンジン「RB26DETT型」も最高出力280PSを発揮し、電子制御4輪駆動システム「アテーサE-TS」を搭載するなど、速く走るためにエンジンパワーを確実に路面に伝える点ではFRの「フェアレディZ」に勝っていました。
そこで、スポーツ志向の強いドライバーは「スカイラインGT-R」を選び、高速道路でのクルージングを楽しむ層は「フェアレディZ」を選ぶという住み分けになりました。