「60年越し」開通へ! 世田谷の“貴重なタテ軸”に開通めど 「たった1軒」が“立ち退き拒否” 揉めに揉めた「20m区間」ついに明け渡し 経堂の「恵泉通り」 長期化の理由とは?
世田谷区の通称「恵泉通り」が事業化から60年越しに開通めどが立ちました。それまでの経緯と開通によってもたらされる変化について紹介します。
たった「1軒の家」が立ち退かずに放置
東京都世田谷区は2026年4月23日、都市整備常任委員会において、区道「恵泉通り(通称)」(主要生活道路106号線の一部区間)について、長年対立が続いていた地権者側と立ち退きの合意に至ったことを明らかにしました。
これにより、2028年4月以降の全線開通に向けためどが立ちました。いったいどのような道路で、なぜここまで長期化したのでしょうか。
恵泉通りは、世田谷区桜ヶ丘の千歳通りを北上し、小田急の下をくぐって世田谷区船橋の赤堤通りを結ぶ全長約1.5kmの区道のうち、未開通となっていた約20mの区間を指す通称です。
小田急の経堂駅と千歳船橋駅のほぼ中間地点から北へ約700m進んだ住宅街に位置し、2車線、幅員11mの道路として整備される計画でした。

事業化されたのは1966年4月のことです。前後の区間は1996年から2018年にかけて順次開通しましたが、恵泉通りの約20mだけは計画に反対する地権者らが用地買収の差し止めを求めて訴訟を提起し、土地の取得が長年にわたり進まない状態が続いていました。
その結果、世田谷区立経堂けやき公園から恵泉女学園までの区間が「ブツ切れ」のまま残されることになったのです。
この未開通区間があることで、千歳通りや城山通りから赤堤通りへ抜けるには幅の狭い路地を何度も右左折しながら約1.7kmも迂回しなければなりません。
経堂・船橋エリアは環七通り(都道318号線)と環八通り(都道311号線)に挟まれた地域で、狭くて入り組んだ路地が多く、渋滞を避けて路地へ入り込むクルマも少なくないため、危険な状況が生じていました。
経緯を振り返ると、2013年1月の時点で土地の所有権が地権者から世田谷区へ移譲されています。しかし、それでも地権者からの明け渡しは実現せず、2017年1月には土地を明け渡す裁決が出されました。
にもかかわらず、地権者側は引き渡しを拒否し続け、現地には通行止めの柵や「行き止まり」と記された看板が設置されるなど、工事着手を阻む状態が続いていたのです。
本来であれば、土地収用法に基づき東京都知事による「行政代執行」、すなわち強制的に建物の取り壊しなどを行う措置が取られるところですが、区や都はこれを実施せず、事実上の放置が続いていました。
2024年4月には、事態の膠着に業を煮やした区民306名が世田谷区議会へ陳情を提出しています。「幅員の狭い道路を迂回せざるを得ない状況となり事故も発生している」との声が寄せられ、陳情書には「事業開始からすでに半世紀以上が経過し、開通を見ることなく他界された方も多数おられます。もうこれ以上は待てません」と記されていました。この陳情は趣旨採択されています。
こうした動きを受け、世田谷区は行政代執行の実施を視野に入れた交渉を進めた結果、4月の都市整備常任委員会で地権者側との合意が報告されるに至りました。
区は2027年度末までに整備工事を完了し、2028年4月以降に全区間の供用を開始する方針です。
全線が開通すれば、恵泉通りは世田谷区中部で南北をつなぐ貴重なタテ軸として機能し、起終点で東西方向の千歳通り・赤堤通り、中間の城山通りなどと接続することになります。
路地への通過交通が減少し、周辺地域の安全性と利便性の双方が大きく向上することが期待されています。
事業化から実に60年越しの開通となる恵泉通りですが、合意から実際の立ち退き、そして工事の完了までが予定どおり進むかどうかは、なお注視が必要です。
土地収用法では、行政代執行の手続きに関して厳格な要件が定められており、今回のように任意の合意に至った場合でも、履行が確実になされるかが今後の焦点となります。動向に引き続き注目が集まります。
Writer: くるまのニュース編集部
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