東京五輪から54年 トヨタ2000GTからスバル360まで 60年代を彩った名車たち
2020年東京オリンピック・パラリンピックまであと2年を切りました。さかのぼること54年、アジアで初めてのオリンピック「東京オリンピック」が開催されました。その当時に誕生した名車たちを見てみましょう。
1964年 東京オリンピックとその時代の名車たち
2020年に東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。そして、いまから54年前の昭和39年には『1964年 東京オリンピック』が開催されました。当時は多くの交通網が整備され、日本でも“モータリゼーション”という言葉が聞かれるようになりました。後に続くクルマ社会のきっかけともいえる時代です。
この時代(昭和30年代)の日本は高度成長期に入って間もなく、東京をはじめとした大都市ではクルマの重要性が高まっていました。そうした時代の機運もあって、1960年代には数々の名車が誕生しました。
では、1960年代前後に誕生した国産名車たちを、当時の時代背景とともに振り返ります。
■その姿は芸術品 国産旧車の代名詞トヨタ「2000GT」(1967年)
東京オリンピックから遅れること3年。トヨタは、世界中から羨望の眼差しを送られる美麗なスポーツカー「2000GT」を発売。
ヤマハの開発による3M型2リッター直列6気筒DOHCエンジンは、当時としては驚異的な150PS/6600rpmを発揮し、同じくヤマハの手による、国産車とは思えない美しいラインのボディと組み合わされ、多くのクルマ好きを魅了していました。
現在では、超高額なコレクターズアイテムとなっていますが、発売前年の1966年『鈴鹿1000kmレース』での優勝や、谷田部自動車高速試験場(現在、高速テストコースは城里テストセンターに移転)のスピードトライアルで24時間を平均200km/h超で走り切るなど、デビュー前から大きな期待を集めていたクルマです。
■最上級のラグジュアリー・カーを実現した日産「セドリックスペシャル」(1963年)
1955年に、トヨタが発売した初代「トヨペット クラウン」に対抗すべく、日産は初代「セドリック」を発売しました。
日産として初めてのモノコック構造のシャシに、当時のアメリカ車のようなデザインのボディを持つハイグレードセダンでした。
発売時は1.5リッターエンジンでしたが、1961年には小型車枠に合わせた1.9リッターエンジンを搭載する「カスタム」を追加。
本動画に登場するグレードは、115PSを発揮する2.8リッター6気筒エンジンとロングボディーを持ち、戦後国産車初の3ナンバーとなる、最上級のラグジュアリーを実現した「セドリックスペシャル」です。また、このセドリックは「1964年東京オリンピック」の聖火搬送を務めたクルマです。
■これぞ大衆車 てんとう虫の愛称で呼ばれたスバル「360」(1958年)
富士重工から1958年に発売されたスバル「360」は、軽自動車規格だった3メートル弱の全長で、大人4人が乗車できるキャビン空間を実現した、優れたパッケージが特徴でした。
乗り降りがしやすいようドアの前開き化し、軽量化のためにリアウィンドウをアクリル製にするなど、航空機開発のノウハウを上手く取り入れていました。
250ccのスクーター用エンジン製造で培った技術を活かした、空冷2ストローク直列2気筒エンジンは、最高出力16PS/4500rpmと決して高出力ではないものの、400kgほどしかない車体と相まって街中をスイスイ走り回りました。
当時の軽自動車のなかでも高い走行性能と低価格で広く愛され、1970年まで販売されました。「スバル360は、富士重工から日本国民の贈り物だった」とも評価されるほど、1960年代を代表する名車です。