東京五輪から54年 トヨタ2000GTからスバル360まで 60年代を彩った名車たち

日本の自動車技術と文化が花開いた時代

いすゞ「ベレット1500オートマチック」

■スポーツサルーンの元祖 いすゞ「ベレット1500オートマチック」(1963年)

 イギリス、ルーツ自動車の「ヒルマンミンクス」をノックダウン生産していたいすゞは、1963年に独自開発した小型乗用車「ベレット サルーン」を発売しました。

 すでにトヨタは、大衆車「パブリカ」や「コロナ」にトヨグライド車(現在では一般的なAT/自動変速機)を設定して、イージードライブのユーザーニーズを満たし始めていたことから、いすゞも1965年に「ベレット1500 4ドア オートマチック」を追加発売しました。

ボルグワーナー社製3速ATを搭載し、最高速度135km/h。当時のカタログに『イージードライブカーの決定版です』『発信・加速・停止すべてアクセルとブレーキだけでOK』などと記されるなど“オートマチック”の優位性を示す宣伝がされていました。

■ロングテールの美しいシルエット 日野「コンテッサ 1300クーペ」(1965年)

 日野は1965年、イタリアのカーデザイナー、ジョバンニ・ミケロッティがデザインした「コンテッサ1300」(4ドアセダン)をベースに、2ドア4人乗りの「コンテッサ 1300クーペ」を発売しました。

 クーペは、エンジン圧縮比を8.5から9.0に上げるなどのチューニングにより、1.3リッター直列4気筒エンジンを55PSから65PSまで強化し、最高速度145km/hを実現しています。

 動力性能よりも、リアエンジン、リアドライブとしたレイアウトを活かし、ロングテールの低く流れるようなスタイリングにより、美しいクーペとして評価が高いクルマでした。しかし、日野は1967年に乗用車生産から撤退したことにより、日野ブランドの乗用車の歴史はコンテッサをもって終了してしまいました。

■本格的なプロトタイプレーシングカー トヨタ「7」(1969年)

 1966年、国内のモータースポーツ人気の高まりや技術開発競争が激化するなか、トヨタは『日本グランプリ』に市販車ベースのトヨタ「2000GT」を送り込みました。

 しかし、プリンス「R380」やポルシェ「906」など国内外のプロトタイプレーシングカーには勝てずに苦汁を飲むこととなり、自社初のプロトタイプマシンとなる「トヨタ7」をヤマハと協力して開発しました。

 1968年には、3リッター90度V型8気筒DOHC2バルブの61E型エンジンを搭載する「415S」を投入しましたが5リッタークラスのライバルには勝てませんでした。

 1969年には、5リッター90度V型8気筒DOHC4バルブヘッドを持つ、79E型エンジンを搭載する「474S」を同年7月の『全日本富士1000km』に送り込み優勝。その後も日産やポルシェを相手に戦いを繰り広げました。

 ちなみにトヨタは1970年の『東京モーターショー』に、フェラーリやランボルギーニよりも美しいと称される「トヨタEX-7」を出展。このコンセプトカーには「トヨタ7」のエンジンが搭載されていました。

東京2020の時はどんなクルマが誕生するの?

 1960年代は、高度成長期や東京オリンピックを背景に、日本国内における道路の整備と自動車の本格的普及が始まり、各メーカーが高出力化や高機能化、高級化など多様化するユーザーニーズへの対応をするため、さまざまな名車を生み出しました。

 近年は、EV車(電気自動車)や自動運転技術が目まぐるしく進化しています。『東京オリンピック・パラリンピック』がおこなわれる2020年にはどのような名車が誕生するのか、楽しみに待ちましょう。

【了】

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