国内最速車として大人気! マツダ初代「RX-7」米国では「ロケット」と呼ばれる?

米国でレース常勝、「ロケット」と呼ばれる

 1979年に海外でも発売されたサバンナRX-7(海外ではMAZDA RX-7)は、1979年2月のデイトナ24時間レース・GTUクラスでの1-2フィニッシュに始まり、ライバルの日産フェアレディ240Zやポルシェ911と競い米国のモータースポーツで大活躍し、前人未踏のIMSA通算100勝という成績を残しました。その速さから「ロータリーロケット」と称され、マツダ自身も国内のカタログ表紙に「ロケット!」と表記したこともあるくらいです。

 1979年から、ル・マン24時間スポーツカーレースにもサバンナRX-7は「RX-7・252i」、「RX-7・253」などで参戦しましたが、予選不通過や決勝リタイアが続き、結果としてはRX-7・254で出場した1982年に総合14位での初完走に留まっていますが、1985年にはWRCアクロポリス・ラリーで総合3位に入賞、IMSA・GTUクラスでポルシェが保持していた単一車種最多優勝記録を更新するなど、モデル末期までレースの世界で高い評価を得ました。

 しかし市販車においては、速さにとりつかれたマニアックなドライバーたちがサバンナRX-7を操り、その性能を確かめようとすると多くのリスクが眼の前に現れました。そのひとつが、もともとセダン向けのシャシーを転用したRX-7は、コーナリングの限界を超えた瞬間の挙動はプロドライバーでも手を焼くほどで、簡単にスピンしてしまうことから「テールハッピー」と呼ばれました。

 サバンナRX-7はそんな評価がされたためか不明ですが、短期間のうちにサスペンションのあちこちに手が加えられました。モデルチェンジやマイナーチェンジを待たずして見た目では判らない改良を続けていたのは、当時からマツダがスポーツカーに対する拘りを持っていたとも推測できます。

0-400m 15.8秒、俊足の座を奪取したサバンナRX-7ターボ

初代サバンナRX-7(1978年発売)ターボ

 オイルショックの影響を感じることが少なくなった1980年代になると、国産車のハイパワー競争が再開されました。その例では日産・スカイラインに対して、「名ばかりのGTは道をあける」と挑発していたトヨタ セリカのCMが有名です。応酬は続き、1980年4月にスカイライン2000GTターボが発売されると「今、スカイラインを追うものは誰か」と返し、その後トヨタは1981年2月に2.8リッターで170PSを出すエンジンを搭載したとソアラを登場させると「未体験ゾーンへ。」とし、ハイパワー競争が激化していきました。

 マツダは1982年10月にコスモ/ルーチェ(HB型)のロータリーエンジン車にターボモデルを追加した後、1983年3月のサバンナRX-7のマイナーチェンジ時には最高出力を165PSまで向上させた12Aターボエンジンを搭載した、サバンナRX-7ターボが登場しました。

 コスモ/ルーチェのターボエンジンより、さらにレスポンスを向上させたパワーユニットを1トンを少し超えるクルマに載せたことで、0-400mを15.8秒で走り切る、当時としては驚異的な性能でロケットと呼ばれるにふさわしいものでした。

【了】

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