4ストモデルでも軽いバイクを作るのが得意 だからヤマハはハンドリングが軽快!?

ヤマハの4ストロークの歴史は、直列2気筒エンジンから始まりました。創業当時は、2ストローク小排気量モデルを得意とするメーカーのヤマハが4ストロークエンジンに着手した理由は?

4スト4気筒、大排気量化にも慎重だったからこそ生まれた高いスポーツ性能

 1854ccエンジン搭載の超弩級クルーザー『Star Venture(スターベンチャー)』や1679ccの『VMAX(Vマックス)』、『FJR1300AS/A』や『XJR1300』など大排気量モデルのラインナップもそうそうたる顔ぶれのヤマハですが、かつては2ストロークエンジンの小排気量モデルを得意とするメーカーでした。

ヤマハ初の4ストロークマシン「XS-1」(1970)

 バイクファンからは軽快な旋回性を楽しめることから「ハンドリングのヤマハ」と現代も称賛されますが、そのスピリットや開発理念は、もともと軽いオートバイをつくるのが得意というDNAが根底にあるからなのかもしれません。開発者に話しを聞いても、まず語るのが旋回性。曲がることがなによりも大好きなのが、ヤマハというオートバイメーカーなのです。

初の4ストは東名高速開通の70年、トヨタ2000GTの開発者もアドバイス

 1955年の創業以来、初めて発売した4ストロークモデルが、1969年の「第16回東京モーターショー」で初披露し、翌70年に発売した『XS-1』です。イギリスのトライアンフを参考にしたエンジンは「バーチカルツイン」と呼ばれる直列2気筒で、排気量も同等の650cc。細身の燃料タンクには、キャンディグリーンのペイントが施され、スポーティな白いラインが引かれていました。

「XS-1」にはOHC・バーチカルツインエンジンが搭載された

 69年は日本の大動脈となる東名高速道路が全線開通し、いよいよ日本に本格的な車社会が到来したと誰もが予感した時代。オートバイもまた大型化、高速化が求められ、それは最大の輸出先となるアメリカの「より大型で、パワフルに」という市場からの声も反映されたものでした。

 60年代後半はサンフランシスコなど西海岸で大気汚染が問題視された時代で、スモッグ対策を求める機運も高まったこともあって4ストロークエンジンへの期待が高まりました。なにより、図太く響く4ストのエンジン音こそ、パワーのシンボルであり、ビッグバイクらしさでもあったからです。

 そして何を隠そう『XS-1』の開発には、トヨタ自動車から生産委託されて1967年から70年に発売した『2000GT』の経験と技術が大いに活かされました。『2000GT』が組み上げられるヤマハ発動機磐田工場では、『XS-1』の開発チームがその技術者から何度もアドバイスを受けたそうですから、なんとも夢のある話しです。『2000GT』と『XS-1』が並んだ姿も磐田工場では見られたのかもしれません。

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