なぜ日本で「謎のスーパーカー」誕生? ゼロから「ダンボール」で作った「ダンボルギーニ」ってナニ? 「震災復興のために…」3.11から13年経った現在

航空際にも展示!愛され活躍したダンボルギーニの発展と現在とは

 震災復興の象徴ともなったダンボルギーニは、見る人に強いインパクトを与えました。

 今野氏は次のように話しています。

「一様に思わず出た感嘆の声が何度も聞けたことが嬉しかったです。

 上皇さま上皇后さまにも展覧していただく機会に恵まれましたが、両陛下も同様に感嘆の声を発せられておりました」

 大きな反響を呼んだダンボルギーニは、展示開始後から復興の象徴として、発展を遂げていきました。

 本物のランボルギーニとのコラボをきっかけに、より実物に似せるために、2号機の製作を開始。

 2016年12月に東京ビッグサイトで開かれた環境関連見本市「エコプロ2016」に展示されました。

 さらに、「ランボルギーニの実車を使用したダンボルギーニのレプリカ」として3号機が登場。

 これは、実物のランボルギーニを購入し、ダンボルギーニの象徴である鮮やかなピンクカラーにラッピングしたものです。

細部まで忠実に再現された「ダンボルギーニ・アヴェンダンボール」は航空祭2018にも展示された(画像提供:今野梱包株式会社)
細部まで忠実に再現された「ダンボルギーニ・アヴェンダンボール」は航空祭2018にも展示された(画像提供:今野梱包株式会社)

 そして、この2号機と3号機は過去に航空自衛隊松島基地の航空祭にも展示されました。

 当時のことについて、今野氏は次のように話しています。

「基地司令直接の依頼でダンボルギーニを基地内に、まさに航空祭のその日に展示をさせていただきました。

 自衛隊関連機器・機材が展示されることはあっても、それ以外のものが一緒に展示されることはたぶん今までの日本国内の政府主催の自衛隊関連イベントでそのようなことが行われたことはないと思います。

 ある意味驚愕の奇跡を起こせたものと感じております」

 展示のきっかけは、今野氏がフザけ半分・本気半分で「航空祭の時にブルーインパルスと俺のランボルギーニ(ダンボルギーニ3号機)を競争させてくれないか…」とつぶやいていたことが発端だったとのことです。

 さすがにそれは実現不可能でしたが、今野氏は時が経ってもいまだにその夢は潰えてはいないと語っています。

 数多のイベントに展示され多くの人の目を引き続けてきたダンボルギーニ。今後について、今野氏は次のように話しています。

「イベントの企画は弊社から仕掛けることはないかもしれません。

 基本的に一昨年の11月をもってダンボルギーニのコンテンツに幕を引いております」と答えました。

 ダンボルギーニは「震災復興の象徴」と表現され、女川の観光資源のひとつとして活躍してきています。

 しかし、その「象徴」がいつまでもあってはいかがなものかという考えが芽生えはじめ、「震災復興の象徴」は「震災復興の思い出」に変えなければいけないと判断。

 経済白書に書かれた戦後11年をもって「もう戦後とは言わない」との一文に倣って、ちょうど震災後11年を迎えた年に幕を引くという決断をしたのです。

 よって、ダンボルギーニを使用したイベントの企画はその方針からそれてしまうということで、現時点では考えていないとのこと。

 ただ、「地域の想いや要望の内容によっては、お役に立つのであれば検討の余地はある」とも話しています。

※ ※ ※

 震災復興の象徴として活躍したダンボルギーニ・プロジェクトは惜しまれながらもその歩みに区切りがつけられました。

 現在、1号機は女川町に無償貸出されており、庁舎内で展示されています。

 2号機は今野梱包株式会社が保管しており、3号車はいまでも何かの機会で人の目を楽しませたり、地域の次世代の夢のために街を走行したりしているようです。

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