6速MTのみ! 純国産の「和製スーパーカー」正体は!? 超パワフルな「ターボエンジン」をミッドに搭載!「ガルウイング」採用した本格仕様の「SUPASSE V」が凄い!
かつて日本には「鈴商」という自動車メーカーが存在し、「スパッセV」というクルマを市販化直前まで開発していました。
純国産の凄い「和製スーパーカー」
かつて「鈴商」という自動車メーカーが存在し、2009年の「東京モーターショー2009」にて、「スパッセV」というスーパースポーツカーを出展しました。
このスパッセVとは一体どのようなクルマだったのでしょうか。
鈴商は、愛知県名古屋市に存在した自動車メーカー。
1973年に保険会社として設立し、3年後の1976年から自動車販売業務をはじめ、おもに中古車販売や中古レーシングカーの販売を行っていました。
さらにアメリカの点火プラグのメーカーである「チャンピオン」や、イギリスのブレーキパッドメーカーである「フェロード」の正規販売店という側面もあり、ほかにも南アフリカ共和国の自動車メーカー「バーキンカーズ」の輸入販売など、幅広い事業を行っていたのです。
当時の日本国内では、自動車メーカーの新規参入が簡単には許されず厳しい時代だったのですが、鈴商は2004年に国土交通省から承認を得て、正式に自動車メーカーとして国内でのクルマの製造、販売が許されます。
晴れてクルマ作りが許された鈴商が開発に着手したのは、「スパッセ」というスポーツカーでした。
スパッセは、鈴商の社長である鈴木 敏夫氏の「スポーツカーを街中で走らせたい」という思いから生まれ、サーキットでの走行も視野に入れて作られていたことから、公道とサーキットの両方で高いポテンシャルを発揮しました。
コンピューターを使ってイチから作られた車体には、ほぼ国内製造もしくは国産の部品が使用され、スパッセのために自社開発したサスペンションには、製品化するまでに4年の歳月がかかったといいます。
そんなスパッセのスタイルは、イギリスのスポーツカー「ロータス・セブン」に近い、フルオープン2シーターのスポーツカー。
前後8点式ロールバーとトラス鋼管を車体に使用することで剛性と安全性を高め、錆びにくいステンレス、アルミ、FRPを使用することで長期間の耐用年数を実現させました。
いっぽうのスパッセVは、このような経緯を持つスパッセのノウハウを基に開発された、全く中身の異なるスーパースポーツカーです。
スパッセVのボディサイズは、全長3873mm×全幅1953mm×全高1160mm、重量は850kgと、短くて低いが横には広く、そして軽いクルマとなっています。
エクステリアは、1960年代末からレーシングカーのデザイナーとして活躍している三村 建治氏がデザインを担当し、60年代のレーシングカーをほうふつとさせる躍動的なボディラインが特徴的。
ドアは跳ね上げ式のバタフライドアを採用したため、わずか1160mmという車高の低いクルマでありながら、乗り降りのしやすさを確保できています。
インテリアは低いシートポジションと、クルマに包み込まれるようなコックピットが特徴で、スポーツカーらしい乗り心地を感じられる設計でありながら、エアコンを装備して快適性も高めらました。
パワートレインには、マツダの高性能ハッチバックである「スピードアクセラ」用の2.3リッター直列4気筒ターボエンジンを搭載。最大出力264馬力/5500rpmを発揮します。
これに組み合わされるトランスミッションは6速MTで、駆動方式は後輪を駆動するMR(ミッドシップレイアウト)を採用。
そんなスパッセVは東京モーターショー2009で初公開され、迫力あふれるエクステリアと真っ赤なボディカラーも相まって大きく話題となりました。
当時は2010年秋の発売をめざして開発されていましたが、悲運なことにメーカーである鈴商が2011年7月9日に突然の休業。
13年が経過した現在も復活はなく、事実上の廃業となり、スパッセVが市販化されることはありませんでした。
※ ※ ※
会社設立から31年の歳月を経て、ようやく自動車メーカーと認可され、クルマ作りが許された鈴商ですが、実際に世に出すことができたクルマはスパッセの1車種だけで終わってしまいました。
もともと大規模な事業展開は狙っておらず、量産車ではなく知る人ぞ知るクルマとして販売する形を取っていたとはいえ、この結果はあまりにも寂しすぎました。
一体何があったのか、真実を知る人は当事者のみ。それが余計に名残惜しく感じさせ、今でも幻のスーパーカーメーカーとして、鈴商を忘れられない存在としているのです。
どうせ釣りタイトルだと思ったら案の定
こんなんでPV稼いでるくるまのニュースはもうだめ
バイバイ