なぜ日産は「GT-R」を残し続けるのか 16年目でも存在感あるモデル… 次期型はどうなる?
国産車トップクラスのパフォーマンスを持つ日産「GT-R」は、現在登場から16年が経過しています。過去には開発中止の危機にさらされたこともあるというGT-Rが、いまなお生産され続けているのには、どのような背景があるのでしょうか。
登場から16年が経過したGT-R、過去には開発中止の危機も
「国産車史上最高のハイパフォーマンスカー」と聞かれたとき、日産「GT-R」は最も多くの人がその名を挙げる1台かもしれません。
現在登場から16年が経過しています。過去には開発中止の危機にさらされたこともあるというGT-Rが、いまなお生産され続けているのには、どのような背景があるのでしょうか。
GT-Rが登場したのは2007年のことです。
そこからおよそ16年にわたって一度もフルモデルチェンジは行なわれていませんが、度重なる改良により、いまなお世界最高のスーパースポーツカーのひとつとして君臨し続けています。
ただ、その長いモデルイヤーにおいて、GT-Rは幾度となく開発中止の危機にさらされたと言われています。
その真偽は不明ですが、この時代にスーパースポーツカーを生産し続けることが困難であることは想像に難くありません。
GT-Rのグローバルにおけるここ数年の販売台数は、年間1000台程度とされています。
平均販売価格を1500万円とした時の売上高は150億円になりますが、2022年の売上高が10兆円を超える日産にとっては、極めて小さな数字です。
一方、GT-Rは特別な工程で生産され、販売やメンテナンスにも相応の知識や設備が求められるなど、一般的な乗用車以上のコストがかかります。
日産にとって利益率の向上は急務であることから、数字の面だけで見れば一刻も早く開発を中止したいという意見が出ても不思議ではありません。
にもかかわらず、日産がGT-Rをつくり続けるのには、どのような背景があるのでしょうか。
言うまでもなく、日産にとって「GT-R」は特別な意味を持つ名称です。
日産のクルマに「GT-R」の名が初めて冠されたのは1969年のことでした。
当時の「スカイライン」のハイパフォーマンスモデルとして「スカイラインGT-R」の名が用いられて以来、「GT-R」は日産のスポーツカーの象徴となりました。
しかし、排出ガス規制強化、そして日産自身の業績悪化によって、2002年をもってスカイラインGT-Rはその歴史に幕を閉じることになります。
一方、2001年に日産の最高経営責任者(CEO)となったカルロス・ゴーン氏による徹底したコストカットの効果もあり、日産の経営状態は徐々に改善を見せるようになります。
そして、CEO就任直後の東京モーターショー2001で「GT-Rコンセプト」を発表。
このコンセプトモデルは左ハンドルであり、ゴーン氏自身も「国境を超える」という趣旨の発言をしたことから、次期GT-Rがグローバルモデルとなることは確実でした。
ただ、それが市販モデルとして日の目を見るのは2007年まで待たなければなりませんでした。
GT-Rは駆け抜ける神話
GTRの新型を出せない理由は凄く簡単、サーキットでのパフォーマスで今以上の物が作れないからだ。
単純に水野さん達が完成しきったGT-Rを作ってしまってるから、それをコンセプト的・技術的にも超えるR36をすぐに作れないだけの話。