首都高の「謎のイカ耳」何のため? ずっと造りかけ? 1箇所だけじゃない謎スポットの正体とは
首都高速道路には、「イカの耳」のような道路がいくつかあります。途中で切れている謎の道路ですが、どのような目的で施工され、なぜ存在するのでしょうか。
首都高の謎の道、イカの耳。1960年代に生まれた幻の道路計画と関係していた
首都高速道路を走っていて、「謎の途中で切れている道」を見かけたという人も多いかもしれません。
いったいなぜ、首都高速道路にはこのような道路が存在するのでしょうか。
実はこの道路は、ほかの路線とつなぐためのジョイント部分です。
将来の道路整備計画に備えて、前もって合流部分だけがつくられており、上り道と下り道の両脇に1本ずつ、合計2本がついています。
その姿を上空から見ると、本道の両端からそれぞれわずかに始まり、徐々に横幅を広げながら道1本分と同じ幅になったところで切断されています。
本道の外側に三角形がはみ出しているように見え、それがイカの耳(エンペラ)に似ていることから、こうした合流部分は俗にイカの耳とも呼ばれています。
首都高が一部開通したのは、日本が高度成長期だった1962年でした。
その後も経済の発展に合わせてさまざまな路線が計画され、イカの耳もいくつか建設されてきたのです。
では当時は、どのような路線計画があったのでしょうか。
特に大規模だったのは、1960年代に計画された首都高内環状線といわれています。
経済成長にともない都市圏が拡大することや、高速道路との接続を見越して、都心環状線の混雑を緩和するために構想が持ち上がりました。
ルートは、皇居周辺を通る現在の首都高都心環状線と、新宿や渋谷など都心から約8キロ離れたエリアをつなぐ中央環状線との間を走る予定だったようです。イカの耳も準備されました。
しかし、1970年代になると公害が意識されるようになり、内環状線の建設は頓挫しました。
高速道路そのものが問題視され、高架で神田川を覆うことにも反発が起こります。
最終的に地元住民の理解を得ることができなかったようです。
とはいえ、内環状線の計画自体が取り消されることはありませんでした。
そのため、すでにできていたイカの耳だけが現在でも残っているというわけです。
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