「かなしい坂」に悲しそうな少年が…グーグルマップで“発見”された珍名坂に伝わる“かなしい”言い伝えとは
ストリートビューで悲しそうな男の子が写っている「かなしい坂」がSNSで話題に。この道はなぜこのようなユニークな名前で呼ばれているのでしょうか。
なぜ「かなしい坂」なのか
グーグルマップのストリートビューで「かなしい坂」と名付けられた坂道を見ると、少年が一人、悲しそうにうずくまっている――。
そんな光景を見つけたという投稿が、SNSのTwitterで話題になっており、投稿から2日たった2022年9月14日時点で11万以上の「いいね」を獲得しています。
なぜこの道は、かなしい坂と呼ばれるのでしょうか。
かなしい坂があるのは、東京都府中市の住宅街です。
ここのストリートビューを見ると、ランドセルを背負った下校中と思われる男子児童が道に一人うずくまっており、“かなしい”気持ちを全身で表現しているように見てとれます。
投稿を見たSNSユーザーからは「慟哭(どうこく)が聞こえる……」「見事にコケちゃってますね」「好奇心旺盛な少年がマンホールの小さな穴から中を覗こうとしているのかも」といった推測が。
また、近くに友達と思われる子供数人や、立ち上がろうとしている男の子の「その後の姿」も捉えられていることから、さまざまなストーリーを想像する人も。
しかし、彼にどのような“かなしい”ことがあったのか、ストリートビューでは分かりません。
しかしこの“かなしい”出来事の舞台となったかなしい坂には、名前の由来となった悲しい逸話があるといいます。
このかなしい坂は、古代多摩川が南へと流れを変えていく過程で武蔵野台地を削り取ってできた立川崖線(府中崖線)に位置しています。
玉川上水は、多摩川の水を江戸の街に供給するために、江戸時代の1653年に開削された全長約43kmにおよぶ上水道です。取水地点は府中より上流の羽村にありますが、伝承によると現在のルートになる前に、府中から導水を試みたことがあるそうです。
当時の上水路は崖線に沿うようなルートで掘られたと考えられていますが、後のかなしい坂となる辺りで水が地面に浸透してしまい通水はかなわず。そして役人たちが責任を問われて処刑される際、「かなしい」と嘆いたことから、「かなしい坂」という名前が付けられたといいます。
工事が失敗に終わった上水路は「むだ堀」などの名前で残っており、一部は遺構も発見されています。
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