ヒットしなくても作ったことに意義がある! 日産が誇る迷車・珍車3選
日産は100年以上もの歴史があり、これまで膨大な種類のクルマを世に送り出してきました。そして、歴代の日産車のなかには、非常にユニークなモデルも存在。そこで、目立たない存在ながら個性的だった日産の迷車・珍車を、3車種ピックアップして紹介します。
日産が輩出した往年の迷車・珍車を振り返る
国内の自動車メーカーは、ホンダやスバル、スズキなど第2次世界大戦後に設立されたメーカーと、戦前に設立されたメーカーに分けられます。さらに、100年以上もの歴史がある老舗メーカーも存在し、そのなかのひとつが日産です。
日産の源流を遡ると、1910年(明治43年)に設立された戸畑鋳物にたどりつき、翌1911年には快進社自働車工場を設立。1914年(大正3年)には「ダット自動車(脱兎号)」が完成し、本格的な自動車製造が始まりました。
そして1934年(昭和9年)に、戸畑鋳物からの流れを継承しつつ日本産業が100%出資した日産自動車が誕生しました。
その後、戦後からは近代的な自動車製造を開始して、1966年にはプリンス自動車工業と合併して会社の規模も一気に大きくなり、数多くの名車が輩出され、現在に至ります。
一方で、日産の歴代車のなかにはかなりユニークなモデルも存在。
そこで、比較的馴染みがある新しい世代の日産車のなかから、迷車・珍車を3車種ピックアップして紹介します。
●マーチBOX
日産は1982年に、次世代のエントリーカーとして初代「マーチ」を発売。安価な価格と優れた経済性、巨匠ジョルジェット・ジウジアーロの手によるシンプルなデザインが高く評価され、日本だけでなくグローバルカーとして欧州でもヒットを記録しました。
その後1992年に2代目が登場すると、直線基調だった初代の外観デザインに対し曲面を多用したやわらかな印象のフォルムに一新。
3ドアハッチバックと5ドアハッチバックに加えてオープンカーの「マーチ カブリオレ」が設定されるなど、初代以上の人気を獲得することに成功しました。
そして1999年には、ユニークな派生車としてステーションワゴンの「マーチBOX」が登場しました。
ベースは5ドアハッチバック車でホイールベースは変わらず荷室部分を240mm延長することでステーションワゴン化され、ボディサイズは全長3980mm×全幅1585mm×全高1450mmと非常にコンパクトで、さらに標準車よりもルーフを25mm高くして室内空間を拡大するとともに広い荷室を確保。
また、マーチBOX専用に「ダブルフォールディングシート機構」がリアシートに導入され、折りたたむとフラットな荷室が出現しました。
搭載されたエンジンはベース車と同じ最高出力60馬力の1リッターと85馬力の1.3リッターの直列4気筒で、トランスミッションは4速ATとCVTが設定されました。
マーチBOXは取り回しが良く、優れたユーティリティのコンパクトワゴンでしたがヒットすることなく、2002年に3代目マーチへのフルモデルチェンジのタイミングで生産を終了。現在に至るなかでも唯一無二のステーションワゴンという異色のモデルでした。
●NXクーペ
部品の供給遅れという問題から2022年夏に発売が延期となってしまった新型「フェアレディZ」ですが、外観デザインに歴代フェアレディZのエッセンスを取り入れたことが話題となりました。
一方、あまり知られていませんが、このフェアレディZのなかでも名作といわれる4代目の「Z32型」のデザインエッセンスを取り入れたモデルがすでに存在しており、それが1990年に発売された「NXクーペ」です。
NXクーペはアメリカ市場での販売をメインとした3ドアハッチバッククーペで、働く女性が通勤などに使う「セクレタリーカー」需要を意識して開発されました。
プラットフォームや主要なコンポーネンツは7代目「サニー」がベースで、アメリカ日産で企画され、デザインもカリフォルニアの「NDI(日産デザインインターナショナル)」が担当。
ボディサイズは全長4140mm×全幅1680mm×全高1310mmとコンパクトで、ボディ全体がやわらかなカーブの曲面で構成され、楕円形状の異形ヘッドライトを配置したフロントフェイスが特徴的でした。
そして、前述のとおり外観の一部は1989年にデビューしたZ32型フェアレディZをモチーフにしており、ルーフはセンターを残して左右が脱着できるフェアレディZでは定番だった「Tバールーフ」が設定され、リアサイドウインドウとリアハッチのデザインはZ32型と酷似していました。
エンジンは1.5リッター、1.6リッター、1.8リッターと3タイプの直列4気筒自然吸気をラインナップし、トランスミッションは4速ATと5速MTが選べました。
NXクーペはアメリカ市場で一定の人気がありましたが、日本市場ではクーペ=スポーティというイメージに反して性能的に平凡で、さらにファニーなデザインが受けなかったためか販売台数は低迷し、1994年に生産を終了しました。
●ティーノ ハイブリッド
トヨタは1997年に、世界初の量産ハイブリッド車の初代「プリウス」を発売。新たな時代の到来を告げるエコカーであり、まさに金字塔といえるモデルでした。
その後、各メーカーともトヨタに追従してハイブリッド車の開発を加速。そして、日産はプリウス誕生から3年後の2000年に、初の市販ハイブリッド車「ティーノ ハイブリッド」を100台限定で発売しました。
ティーノ ハイブリッドは1998年に発売されたミドルクラスのハイトワゴン「ティーノ」をベースに開発され、1999年には試作車を20台ほど生産し、公道で述べ100万kmにも及ぶ走行テストを実施したうえで、満を持してのデビューを飾りました。
目標とした燃費性能は同クラスのガソリン車の2倍以上とされ、新開発のパワーユニットは、最高出力101馬力を発揮する1.8リッター直列4気筒ミラーサイクルエンジンと、23馬力の走行用モーター、発電とエンジン始動用を兼ねたモーターが組み合わせた、2モーター・スプリット方式のハイブリッドシステムを採用。
トランスミッションはベルト式のCVTで、内部に走行用モーターが組み込まれていました。
そしてティーノ ハイブリッドの大きなトピックスは走行用バッテリーにマンガン正極のリチウムイオンバッテリーを搭載していたことで、量産車では世界初の快挙でした。
また、通常走行時はエンジンのみで走行し、急加速や登坂時にはモーターがエンジンをアシストするモードに加え、発進時や低速走行時はモーターの動力のみで走行するEV走行も可能で、機能的には初代プリウスを上回っていました。
ティーノ ハイブリッドの完成度はかなり高かったのですが、燃費は23km/L(10・15モード)とプリウスの28km/Lには及ばず、価格も315万円(消費税含まず)とプリウスよりも100万円高の設定で、あくまでも実験的なモデルといえました。
ところが発表から3週間後にインターネットでの購入予約を開始したところ、即日に100台を超える受注を受け付け、キャンセル待ちとなる人気ぶりでした。
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冒頭にあるとおり日産は長い歴史がありますが、他の老舗メーカーと大きく異る点として、戦前に生産されたクルマが数多く現存していることが挙げられます。
その理由のひとつが小型のクルマを販売の主力としていたことで、戦時中は日本軍の接収を免れ、納屋や物置に手軽に保管できたため、良好な状態で生き残ったといいます。
戦前の日産車は今も個人が所有しているケースが多く、さらに神奈川県座間市にある「日産ヘリテージコレクション」にも多数保存されているので、一見の価値ありです。
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