2000万円超えの「カイエン乗りてぇ」! 現役引退を表明した“ハンカチ王子”が愛したクルマ 3選
2021年10月1日、“ハンカチ王子”として知られたプロ野球・日本ハムの斎藤佑樹投手が今季限りでの現役引退を表明して一躍注目を浴びました。かつて、時代の寵児となった男が所有したクルマとは?斎藤佑樹投手が愛したクルマをピックアップして紹介します。
“ハンカチ王子”が父の影響で購入した国産車とは
2021年10月1日に今季限りでの現役引退を表明したプロ野球・日本ハムの斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)投手。
2006年夏の甲子園を制し、“ハンカチ王子”として注目された時代の記憶が鮮明です。
時代の寵児となった男が所有したクルマとは、どのようなものなのでしょうか。
●スバル「レガシィ アウトバック」
2011年に早大からドラフト1位で日本ハム入団した斎藤投手。入団後の4月、父・寿孝さんが勤めていたスバルのクルマ「レガシィ・B4」に乗って札幌ドームに初のクルマ通勤をしています。
しかし、そのクルマは代車。同年夏に黒のスバル「レガシィ アウトバック」が納車されています。
スバルを選んだ理由について「スバルに勤めていた父の影響です。スバルの『水平対向エンジン』と『AWD』の素晴らしさを、小さなときから聞かされて育ちました」とインタビューで答えています。
レガシィ アウトバックは、スバルのフラッグシップSUV。初代モデルは1995年に登場し「レガシィ グランドワゴン」という名称で販売され、2代目モデルは「レガシィ ランカスター」として販売されました。
2021年10月7日、日本では7年ぶりに全面刷新した6代目となる新型レガシィ アウトバックが正式発表されました。
ボディサイズは全長4870mm×全幅1875mm×全高1670-1675mm。従来モデルの全長4820mm×全幅1840mm×全高1605-1660mmよりサイズアップしています。
万が一の衝突時に、自車乗員の保護に加え相手車両へのダメージも軽減することを目的に「セカンドロードパス構造」を取り入れ衝撃吸収性能を強化。
さらに、衝突時に自動でブレーキをかけ減速することで多重事故の危険を低減する「ポストコリジョンブレーキコントロール」をスバル初採用しています。
2011年当時、初のマイカーであるレガシィ アウトバックを購入した斎藤投手は「クルマを買ったことで、ボクの人生がすごく変わりました。それがスバルだったんで、いい出会いだったなと思っています」と、満足したコメントを残しています。
●マツダ「デミオ」
2011年におこなわれた「マツダオールスターゲーム2011」で、「SKYACTIV TECHNOLOGY賞」(2011年創設)を受賞した斎藤投手は、スポンサーであるマツダから「デミオ」が贈られています。
初代デミオが発売されたのは1996年。日本のバブル経済崩壊後、当時マツダが経営危機に陥っていた年にデビューしました。
「小さく見えて、大きく乗れる“自由形ワゴン”」というキャッチフレーズで発売され大ヒットを記録。
2002年に発売された2代目モデルはコンセプトをキープ。斎藤投手に贈られた2007年発売の3代目モデルで大きな転機を迎えます。2代目までの箱型ボディを改め、流線型のボディを採用し、さらにボディの小型化を図りました。
そして2014年に4代目モデルを発売。クリーンディーゼルエンジンに代表される「SKYACTIV(スカイアクティブ)技術」と同社のデザインテーマ「魂動(こどう)-Soul of Motion」が全面的に採用され、3代目モデルからクルマの基本性能を磨き上げました。
そんな歴史をたどったデミオは2019年、海外で用いられている車名である「マツダ2」へ車名変更。
デミオの23年の歴史は幕を下ろしましたが、その魅力をマツダ2が引き継ぐことでしょう。
カイエンは何しろデザインが悪すぎ。
デザイナーの趣味を疑う。子供の落書きのほうが見栄えがいい。
先代よりはいいが。