4億円の価値!! ジェームズ・ディーンのポルシェ「550スパイダー」と1番違いの個体とは
ジェームズ・ディーンが事故で他界したときに運転していたクルマとしても有名なポルシェ「550スパイダー」。そのディーンの愛車と1番違いの個体がオークションに登場しました。現在の価値はどれくらいなのでしょうか。
ジェームズ・ディーンの愛車と連番のポルシェ550がオークションに登場
RMサザビーズが主催する2年ぶりに開催された世界最大級のオークション「Monteley」にて、VAGUEが注目した1台を紹介しよう。
数あるオークション出品車両の中で今回ご紹介したいのは、1955年型ポルシェ「550スパイダー」。ポルシェにとっては現代に至る重要な名跡「RS(レン・シュポルト)」を初めて名乗ったレーシングスポーツカーであるとともに、若くして逝去した伝説のムービースター、ジェームズ・ディーンを死に至らしめた自動車事故の際に乗っていたクルマという悲しいストーリーでも知られるモデルである。
●ポルシェ初のミドシップ・レーサー、550スパイダーとは?
1948年の創業から3年後に、早くもル・マン24時間レースにワークスチームを送り込むなど、ポルシェは誕生当初からモータースポーツに積極的にチャレンジしていた。
しかし1953年までのポルシェの活躍は、リアエンジンの市販モデル「356」を擁した小排気量「GT」カテゴリーに限定され、耐久レースの上位カテゴリーである「スポーツカー」に進出するためのレーシングスポーツカーを持ってはいなかった。
一方、空冷ボクサー4エンジンなどポルシェの優れたコンポーネンツを流用して、小規模のコンストラクターがレーシングスポーツを製作し、欧州各地のヒルクライムやサーキットレースで活躍し始めていたのだが、中でもエポックメイキングだったのは、フランクフルトの「グレックラー(Glockler)」が1951年に少数製作したミドシップのスパイダー/クーペ。このモデルの成功に触発されたフェリー・ポルシェ博士ら、創成期のポルシェ技術陣によって開発され、1953年のパリ・サロンで発表されたのが「550スパイダー」だった。
ごく初期のワークスカーをのぞいては、エルンスト・フールマン博士の設計した空冷水平対向4気筒4カムシャフト、通称「フールマン・ユニット」をミドシップに搭載。シンプルで効果的な鋼管ラダー構造フレームにトーションバー式サスペンションを搭載したスパイダーの重量はわずか550kg(初期型)で、驚くべきパフォーマンスと敏捷性を発揮した550スパイダーは、スポーツカーレースの1500ccクラスでは無敵のマシンとなってゆく。
たとえば、開発の遅れたフールマン・ユニットの代わりに356用OHVを搭載して出走した1953年ル・マンのクラス優勝を皮切りに、翌1954年の「ミッレ・ミリア」や「カレラ・パナメリカーナ」でもクラス優勝を達成することになった。
今回のオークション出品車両は、1955年7月14日にラインオフしたシャシナンバー「#550-0054」。ポルシェ356スピードスターやメルセデス・ベンツ「300SL/190SL」、アルファ ロメオ「ジュリエッタ・スパイダー」などの企画をメーカー側に促し、アメリカにおける欧州製スポーツカーブームを巻き起こした偉人、マックス・ホフマンが率いるニューヨークのディーラー「ホフマン・モーターズ」が、新車として輸入したものである。
ちなみに、このときホフマンは合計4台の550スパイダーを輸入していたが、そのうちの1台が、かのジェームズ・ディーンのもとに納められたものだったという。ディーンが1955年9月30日に事故を起こした550スパイダーのシャシナンバーは「#550-0055」であることが分かっており、今回の出品車とは一番違いだったことになる。
ポルシェのエンジンもスバルみたいに「ボクサー4」って言うの?
てっきり「フラット4」って言うんだと思ってた。