新車価格の倍の2億円! ジャガー「XJR-15」のテールライトはマツダ「カペラ」の流用だった
1990年代、ジャガーは2台のまったく性格の異なるスーパースポーツをリリースしました。それが「XJ220」と「XJR-15」です。今回は硬派でハードなXJR-15が誕生した背景と現在のマーケットでの評価をレポートします。
レースカーをそのまま市販化したようなジャガー「XJR-15」とは
2020年は新型コロナ禍によって一年休止を余儀なくされた「モントレー・カーウィーク」が、この2021年8月中旬に2年ぶりの復活を果たすとともに、毎年この期間中に世界最大級のオークションを開催しているRMサザビーズも、北米本社の主導による「Monteley」オークションを開くことができた。
このオークション出品車両の中で今回VAGUEが注目したのは、「ジャガー・スポーツ」がごく少数を製作したレーシングカー直系のスーパースポーツ「XJR-15」である。
同じ「Monteley」オークションに出品された「XJ220」とは、不思議という以上の因縁を持つモデルである。
●ワンメイクレースのために開発・製作された、公道を走ることのできるレーシングカー
1980年代半ばから1990年代初頭にかけて、ジャガーはFIA世界スポーツカー選手権(WSPC)およびアメリカIMSA選手権におけるトップコンテンダーだった。
1986年から「トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)」とパートナーシップを結び、ジャガー・スポーツを設立。その目的は、往年の「Cタイプ」や「Dタイプ」が築き上げたのと同じレースにおける栄光を、今いちど世界スポーツカー選手権で勝ち取ること。その唯一最大の目的のために、グループC(IMSA-GTP)規約に基づく「XJR」シリーズを開発し、耐久レースの現場に送り出していた。
スポンサーであるタバコ会社「シルクカット」を象徴する、紫と白のボディカラーに包まれた一連のXJRは、この時代のレースでポルシェと互角以上の戦いぶりを発揮。1988年のル・マンとデイトナ、さらにこのシーズンのシリーズタイトルも獲得した「XJR-9」、および1990年のル・マンを制した「XJR-12」でクライマックスを迎える。
そして機を見るに敏なビジネスマン、トム・ウォーキンショーはXJR-9のロードバージョンを製作・販売するというアイデアを着想した。
そこでジャガー・スポーツは、公道を走ることのできるレースカー「XJR-15」を開発するにあたり、XJR-9と同じ技術とデザインを流用することにした。
パワーユニットは、WSPC選手権でジャガーを勝利に導いたものと基本的に同じV12エンジン。SOHCヘッド+6リッターで450psを発生するバージョンを採用した一方で、車体の乾燥重量は約2300ポンド(約1050kg)と圧倒的に軽いため、同時代のすべてのスーパーカーを大きく下回るパワー・ウェイト・レシオを誇っていた。
だが、XJR-9との類似点はそれだけではなかった。モノコックタブはトニー・サウスゲートXJR-9用から発展させたもので、世界で初めてカーボンファイバー製フレームを持つロードカーの1台となる。また、サスペンションもXJR-9と同じ設計を展開し、V12エンジンもシャシへの応力を受けるメンバーとして利用するなど、レーシングカーそのものの特徴を与えられていたのだ。
ジャガー・スポーツは、直後に伝説のマクラーレン「F1」やBMW「V12 LMR」などを手掛ける英国の自動車デザイナー、ピーター・スティーブンスを参画させ、市販スーパーカーとしてXJR-15のボディをデザイン。ルーフのかさ上げやコックピットの拡幅など、いくばくかでも快適性を高めるデザインワークが図られた。
また、TWRとはもともと縁が深かった日本のマツダから提供を受ける「カペラ」用のテールランプなど、量産車の外装パーツも流用することになった。
1990年まで開発テストがおこなわれたのち、その年の11月に正式発売され、ジャガー・スポーツがオックスフォードシャー州に設けた専門施設で生産開始。1992年までに53台のXJR-15が製作された。
その53台のうち、27台はロードバージョンとしてラインオフしたが、そのほかの26台は、XJRシリーズの系譜に相応しくサーキットのために作られたもの。実はそれこそが、XJR-15が開発された最大の目的だったという。
トム・ウォーキンショーは、1991年シーズンのF1モナコGP、イギリスGP(シルバーストーン)、ベルギーGP(スパ・フランコルシャン)の3戦のサポートレースとして、ワンメイク選手権「ジャガー・インターコンチネンタル・チャレンジ」を企画。
このワンメイク選手権ではタイトル獲得者に100万ドルの賞金が懸けられており、デレク・ワーウィックやデビッド・ブラバム、フアン・マヌエル・ファンジオ2世、ティフ・ニーデルなど、当時のWSPCの第一線で戦っていたレーサーたちが大挙して出場し、一定の成果を収めることができたのだ。
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