タイガーマスクの愛車はランボルギーニ? それともジャガー? 長年の疑問が解決
1960年代的未来を具現化したデザインの「マルツァル」
1967年3月のジュネーヴ・ショーでデビューしたランボルギーニ・マルツァルは、フル4シーターのグラントゥリズモの可能性を模索するランボルギーニとカロッツェリア・ベルトーネがコラボレーションして開発・一品製作したデザインスタディである。
●ピラーナとマルツァル、二つのコンセプトの融合
ジャガー・ピラーナと同じくガンディーニの手がけたデザインは、前後シートへのアクセスを可能とする巨大なガルウィングドアは上下分割のガラスで構成されるとともに、ルーフもほぼ全面がガラス張りというエキセントリックなものであった。
パワーユニットは、当時のランボルギーニ最新モデル「P400ミウラ」用4リッターV12エンジンの後部バンクのみを使用した2リッター直列6気筒エンジンである。このエンジンをリアに横置きで搭載することで、4人がゆったり乗ることのできるキャビンスペースを確保するというのも、少なくともアイデアとしては斬新ではあった。
しかし、市販スーパーカーとしては絶対的なパワー、あるいは生産性などにもマルツァルは看過できない問題があったのだろう。翌1968年に発表された実質的な生産モデル「400GTエスパーダ」では、4リッターV12エンジンをフロントに搭載、後輪を駆動するコンベンショナルなレイアウトと、普通の2枚ドアを持つボディデザインに変更されることになる。
そして、マルツァル・コンセプトをより現実的なエスパーダに作り替えるというミッションにあたって、ある意味「たたき台」とされたのが、当時ほぼ同時進行でプロジェクトが進められていたジャガー・ピラーナだった。
幸いなことに、ピラーナとそのベースになったジャガーEタイプ2+2のホイールベースは2670mmと、エスパーダ用に想定された2650mmと極めて近い数字だったのだ。
実はエスパーダにおいても、ごく初期には前/後席をまかなうガルウィング式ドアの可能性が模索されていたことが判明している。しかし、一説にはフェルッチオ・ランボルギーニ自身の意向によってコンベンショナルな2ドアクーペとされるにあたり、ピラーナのドアやサイドウインドウのグラフィックが引用されたことは容易に想像できる。
ただし、あくまで2+2であるピラーナがEタイプのイメージを投影したロングノーズを強調していたのに対して、フル4シーターを目指したエスパーダはV12エンジンを前方に追いやるとともに、Aピラー以降のキャビンもより大きなものとされた。
そして大型化されたキャビンと視覚的なバランスをとるため、あるいはショーファードリブンも見越したといわれるエスパーダでは、後席の住人にも快適な視界を提供するため、リアクォーターウインドウも後方に延ばされることになった。
つまりエスパーダのデザインは、もとはリアエンジン車であるマルツァル譲りの基本プロポーションに、ピラーナ譲りのディテールを組み合わせたものと見るべきであろう。
そしてこれらの3モデルすべてのミッションは、鬼才マルチェッロ・ガンディーニによって遂行されたのだ。
スーパーカー世代ですが、マルツァルの量産型がエスパーダという程度の認識で、ピラーナは知りませんでした。なるほどそうでしたか。
あと、タイガーマスクの制作側がピラーナを選んだのは、タイガーに近い「ジャガー」という事もあったのかもしれませんね。
また色々と掘り下げた記事を楽しみにしてますね。