なぜタイヤ販売店に95台のレトロ自販機が存在? 「オートレストラン」が蘇った訳
1970年代には「オートレストラン」や「オートパーラー」と呼ばれた自販機で飲食を販売するスポットが流行しました。現在では、その数は減少しているものの、かつての自販機を集めてオートレストランを復活させたタイヤ販売店があります。なぜ、コンビニ全盛期のなかで、レトロな自販機での飲食を展開しているのでしょうか。
人気を集める「レトロ自販機」、かつては「オートレストラン」として1970年代に流行
神奈川県相模原市にあるタイヤ販売店に併設された24時間営業の「レトロ自販機」が最近人気を集めています。
週末は深夜でも駐車場は満車状態で待機列ができるほどだといいますが、なぜ中古タイヤ販売店にレトロ自販機が設置されたのでしょうか。
現在では「レトロ自販機」「なつかし自販機」などと呼ばれる自動販売機は1970年代に流行しました。
深夜営業しているコンビニもファミレスもなかった時代にモータリゼーションの拡大と共に時間に縛られないクルマ移動が各段に増え、道路の整備が進んだこともあって深夜も走り続ける長距離トラックが急増します。
ドライブを楽しむ一般ドライバーから、夜も仕事で走り続けるプロドライバーのための食事処として、全国各地の国道沿いなどに24時間温かい食事を提供できる、うどんやそば、ハンバーガーや弁当などの自販機が置かれるようになりました。
1970年代に大ヒットした映画「トラック野郎」シリーズにもたびたび登場しています。
しかし1980年から1990年代には24時間営業のコンビニやファミレスが急増し、ドライブインと共に、オートレストラン、オートパーラーと呼ばれるこれらの自販機コーナーも減っていきます。
修理ができる業者が減ったこともあり、一度故障すると再生が難しく、廃棄される自販機も増えてしまったのです。
こうして手放されることになったレトロ自販機が再生されて活躍しているのが、中古タイヤの販売やホイールの修理などをおこなう「中古タイヤ市場」です。
コロナ禍のいま、無人で温かい食事がとれる自動販売機なら、営業自粛や時短営業とも無縁です。
メディアで紹介される機会も増え、名古屋や大阪は当たり前、遠くは北海道からもクルマで訪れる人もいるという相模原のレトロ自販機コーナー。
2001年にオープンした中古タイヤ市場は2021年で20年を迎えますが、レトロ自販機を設置し始めたのは2017年からだといいます。
社長の斉藤辰洋氏が趣味として集め、修理や整備をしてよみがえったポップコーンや瓶コーラの自販機を置いたことから始まり、「タイヤ交換などの作業を待っている間、お客さんに楽しんでもらえたら…という思いから始めた」といいます。
数台から始まったレトロ自販機はどんどん増えて、うどんやそば、ラーメンなど自動調理機を備えた自販機を含め、2020年春頃には40台を突破。自販機の列も1列から2列へ増えて、現在は95台にまで増えました。
ほとんどの自販機は昭和生まれで、30年、40年もの長い間、使われてきたものが大半で故障も多く、部品を探すのにも苦労する自販機が多いのですが、斉藤氏は独自の技術で修理をしています。
ちなみにもっとも古い自販機はロッテ「チウインガム」で、製造は昭和35年(1960年)と、61年もの歴史を持っています。
丁寧に整備やメンテナンスをおこない、60年以上も昔の機械が元気に動いているのは驚異的といえるでしょう。
なお、実際の商品価格は1個100円ですが、自販機の金額表示は10円・20円と当時のまま残してあります。
最近、客の民度が下がったのかゴミのポイ捨てや長時間占拠するヤカラが増えたようです。
近隣住民とのトラブルや苦情が増えて自販機コーナーが閉鎖撤去されるなんて事にならなければいいですが…