7億円は確実!? ウーパールーパー顔のジャガー「Dタイプ」とは

希少なレッドのボディと、豊富なレース歴が決め手の個体

 ジャガーDタイプは、1955年からワークスカーとカスタマー向けも合わせて75台が製作されたといわれるが、すべてのDタイプが当時のレーシングヒストリーを持つわけではない。

 しかし、今回のRMサザビーズ社「ARIZONA」オークションに出品された、シャシNo.「XKD 518」は、多彩なレース歴に加えて数奇なストーリーを辿った1台とされている。

●1955 ジャガー「Dタイプ」

ボディカラーがレッドのジャガー「Dタイプ」は珍しい(C)2020 RM Sotheby's
ボディカラーがレッドのジャガー「Dタイプ」は珍しい(C)2020 RM Sotheby's

 1955年12月29日、英国マンチェスターの大手自動車ディーラー「ヘンリーズ」にデリバリーされたXKD 518は、赤いボディをこの時から与えられていた。ジャガーのレーシングカーとしては異質にも映るカラーについては「ミッレ・ミリア」などイタリアの公道レースに出るプライベーターを意識したともいわれている。

 ところがその目論見はかなわず、のちにF1グランプリ界のフィクサーとなるバーニー・エクレストンが、若き日に起業したディーラーを介して、英国内レースに参加していたクラブマンレーサー、ピーター・ブロンドが当時の3500ポンドで購入することになった。

 ブロンドはすぐにクラブレースに参戦し、1956年6月にはスネッタートンで1−2フィニッシュを達成。9月にもスネッタートンで優勝を果たした。

 1956−1957年シーズンにはエイントリーやシルバーストーン、オウルトンパーク、グッドウッドなどのクラブレースを転戦している。

 そののちXKD 518は、ジョナサン・シーフやジーン・ブロクサムなどのレーシングドライバーのもとを渡り歩き、1961年シーズン終了まで英国内のクラブレースで活躍。現役引退後は、ハードロックのカリスマグループ「レッドツェッペリン」を世界のスーパースターに育て上げたことでも知られる音楽プロデューサー、ピーター・グラントも数年間にわたって所蔵していたと記録されている。

 そして1982年に大西洋を横断したのち、現在に至るまで4人のコレクターを経て、2008年以来、現在のオーナーのコレクションに加わることになった。

 XKD 518の来歴は、CタイプからEタイプ・ライトウェイトに至るジャガーの歴代レーシングモデルを完全網羅した「Jaguar Sports Racing Cars:C-Type, D-Type, XKSS and Lightweight E-Type and Jaguar C-Type. D-Type & Lightweight E-Type Register.」にも記されており、ヒストリーに一切の瑕疵がないことも証明されているという。

【画像】超貴重なジャガー「Dタイプ」をチェックする(21枚)

【2024年最新】自動車保険満足度ランキングを見る

画像ギャラリー

1 2 3

新車不足で人気沸騰! 欲しい車を中古車でさがす

【NEW】自動車カタログでスペック情報を見る!

最新記事

コメント

本コメント欄は、記事に対して個々人の意見や考えを述べたり、ユーザー同士での健全な意見交換を目的としております。マナーや法令・プライバシーに配慮をしコメントするようにお願いいたします。 なお、不適切な内容や表現であると判断した投稿は削除する場合がございます。

メーカーからクルマをさがす

国産自動車メーカー

輸入自動車メーカー