【超希少】フェラーリ「テスタロッサ」にオープンモデルがあった! スパイダーが存在する理由とは?
ピニンファリーナに別注スパイダーをオーダーした人物とは?
フェラーリ・テスタロッサについては、1960年代以来のフェラーリ製ベルリネッタの慣例を外れ、ピニンファリーナがデザインワークだけではなく、ボディ/インテリアのコーチワークまで担当していた。
そして、オープンモデルが一時的に激減していた時代ということもあって、正規モデルのボディタイプは、クローズドの「ベルリネッタ(とくにスポーティなクーペ)」のみとされていた。
●1987 フェラーリ「テスタロッサ・スパイダー by ストラマン」
しかし、フェラーリおよびピニンファリーナのオフィシャルとして、1台だけスパイダー版が製作されている。
フィアット・グループの会長を長らく務めるとともに、前世紀後半のヨーロッパにおけるセレブレティの代表格としても知られた偉人。そして、数多くの特注フェラーリをピニンファリーナとともに生み出してきた「アヴォカート(弁護士)」こと故ジャンニ・アニエッリが、自身のフィアット会長就任20周年を記念して、ピニンファリーナにテスタロッサをベースとするスパイダーを特注したのだ。
フェラーリのアーカイブによると、この記念プロジェクトは1986年2月27日にスタートされ、4か月後に完成・納車されたとのことである。
もともと世界の憧れとなっていたテスタロッサ。しかも、さらにスペシャルなオープンモデルは、当時のアーケード版レースゲーム「SEGAアウトラン」にも登場するなど、世界で1台だけのスパイダー版は大きな反響を巻き起こすことになった。
ただ、ピニンファリーナは公式には「一品製作」を謳いつつも、主にアヴォカートと親しい友人たちを中心とした特別な顧客の追加オーダーを受け付け、秘密裏にもう数台のスパイダーが製作されたともいわれている。
そして、チューニングカーでも有名な「ケーニッヒ(Koenig)」、のちに独自開発のコンプリートカー生産にも乗り出す「ローレンツ&ランクル(Lorenz & Rankl)」らドイツ勢に加えて、アメリカの「ストラマン(Straman)」などのスペシャルコーチビルダーも、裕福かつ特別なクルマを熱望する顧客のために、テスタロッサのルーフを取り去ったスペシャルカスタムカーの製作に乗り出してゆく。
RMサザビーズ「ARIZONA」オークションに出品される、ネロ(ブラック)外装/クオイオ(ナチュラルレザー色を再現したライトブラウン)内装のテスタロッサ・スパイダーも、そんなテスタロッサ・カスタムのひとつだ。1987年型のスタンダード・テスタロッサをベースに、北米ストラマン社がモディファイしたスパイダーなのだ。
コメント
本コメント欄は、記事に対して個々人の意見や考えを述べたり、ユーザー同士での健全な意見交換を目的としております。マナーや法令・プライバシーに配慮をしコメントするようにお願いいたします。 なお、不適切な内容や表現であると判断した投稿は削除する場合がございます。