時代は軽オープン全盛期!? 30年前はアツかった! ABCトリオの誕生背景とは
1年遅れで登場したAZ-1とは、どんなクルマ?
ビート、カプチーノから1年遅れて1992年に登場したのがAZ-1です。
1985年、マツダの技術研究所で「マツダのラインにないクルマを提案しよう」という話が提案されました。
1987年にプロトタイプが完成、1989年の東京モーターショーでお披露目。それがショーカーの「AZ550」でした。
実はこの時点では量産する計画はなかったといいますが、ショーでの反響の高さから、そのなかのひとつ「タイプA」が量産化されることになります。
その主査は、初代「ロードスター」を担当した平井敏彦氏で、「軽自動車ベースで仮にパワーの面で不満があっても、カート感覚のクイックなハンドリングがあれば楽しさを満喫できるはず」と引き受けたといいます。
デザイン、ミドシップレイアウト、ガルウィングといった特徴はショーカーからほぼ踏襲されました。
ショーカーで提案した「着せ替えボディ」は実現できませんでしたが、スケルトンモノコックにすべてプラスチックのボディパネルという新たなトライも。
ちなみにエンジンやトランスミッション、サスペンション(リア・ストラットはアルトワークスのフロント用)などの主要構成部品はスズキから供給を受けていますが、クイックのハンドリングを実現させるためにステアリング系は一部を除きAZ-1専用設計(ステアリングギア比は12:1)とされています。
そのスタイルは軽スーパースポーツといってもよく、3台のなかでもっとも個性的でした。ちなみに1993年にはスズキにOEM供給され「キャラ」という兄弟車も生まれました。
このように同じタイミングで誕生した3台の軽スポーツ。ビジネスとして成功したかどうかは置いておいて、軽自動車の可能性を引き出した存在なのは間違いないと思います。
実はこの流れに乗れなかったメーカーがダイハツです。といっても、1991年に軽スペシャルティモデルのリーザがベースのオープンモデル「リーザ・スパイダー」を販売しましたが、専用開発の3台には及ばず。
そのときの無念を晴らしたのが、2002年に登場した「コペン」です。現在はビートの末裔である「S660」とともに、軽スポーツ市場の2トップとなっています。
Writer: 山本シンヤ
自動車メーカー商品企画、チューニングメーカー開発を経て、自動車メディアの世界に転職。2013年に独立し、「造り手」と「使い手」の両方の想いを伝えるために「自動車研究家」を名乗って活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
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