なぜ国産車メーカーは増えない? 最後発は「ミツオカ」じゃない? 三輪EV社以外出てこない背景とは
世界中のなかでも日本は多くの自動車メーカーを有しています。そのなかで、比較的新しい個性派自動車メーカーとしてミツオカが知られていますが、今後ミツオカのように新しい自動車メーカーが誕生することはあるのでしょうか。
個性派国産自動車メーカー「光岡自動車」はどうやって誕生したか
個性的なクルマづくりをおこない業界で独自のポジションを確立しているミツオカは、ホンダ以来32年ぶりに日本で生まれた、比較的新しい自動車メーカーとしても知られています。
今後、日本で新しい自動車メーカーが生まれる余地はあるのでしょうか。
光岡自動車(ミツオカ)は、1968年に富山県で板金塗装業を生業としてスタートした会社です。
その後事業を拡大し中古車部門を立ち上げ、「BUBU」という名称で全国へ進出。その後も米国に法人を設立するなどして、自動車販売業で財を成していました。
一方、ミツオカではゼロハンカー(原付免許で運転可能な50ccのミニカー。1985年の新道路交通法改正で普通免許が必要となる)やレプリカカーを製造し、そのなかでノウハウを蓄積してていました。
1990年代前半のレプリカカーの代表作としては、日産の「シルビア」をベースにクラシックカー風のボディが架装された「ラ・セード」や、日産「マーチ」をベースにジャガー「Mk2」風のデザインに仕立てた「ビュート」などがあります。
そして1996年、「ゼロワン」で国土交通省による型式認証を取得して、名実ともに国内10番目の乗用車メーカーとなりました。
さらにその5年後、ミツオカのキャラクターを世に知らしめるモデルとして「オロチ」が東京モーターショー2001で発表されたのです。
オロチはシャシこそ自社開発であるものの、エンジンとトランスミッションはトヨタから、ステアリング周りはスズキから、ブレーキはホンダ、外装パーツには一部マツダのものを採用。ここには小さな自動車メーカーならではの工夫があったのです。
自動車メーカーの定義は、一般的に国土交通省の型式認証を取得したクルマを製造しているかどうかで判断されます。
型式認証を取得するためには厳しい試験に合格する必要がある一方で、型式認証を取得したクルマは「新車」として販売することが可能になります。
初期のミツオカは、厳密には既存のクルマを改造したカスタムカーも取り扱う特殊な中古車販売会社という立ち位置でしたが、前述の通り、1996年に型式認証を取得して以降正式に「自動車メーカー」となりました。
前述のとおり、ミツオカが型式認証を取得する以前、最後に自動車メーカーとなったのがホンダで、1962年のことでした。
そのことからも、自動車メーカーが生まれるのは決して簡単ではないことがわかります。
国土交通省によると、型式認証は以下の内容で説明されています。
「自動車製作者等が新型の自動車等の生産・販売を行う場合に、あらかじめ国土交通大臣に申請または届け出を行い、保安基準への適合性等について審査を受ける制度」
ここで出てくる「保安基準の適合性等」というのが非常に難しいといわれています。
エンジンやブレーキ、ステアリングなど、クルマのもっとも基本的な要素である「走る、曲がる、止まる」に直結している部分は、保安基準を満たすための研究開発に莫大な予算が必要となります。資本の少ない中小企業にとってはあまりにも高いハードルです。
オロチは主要部分を各自動車メーカーのパーツを援用することによって保安基準をクリアしましたが、逆にいえば、自社開発のハードルが高かったということを意味しています。
なおミツオカ以後では、ベンチャー企業の日本エレクトライクが3輪EV「エレクトライク」で2015年に型式認定を受け、19年ぶりに自動車メーカーが誕生しました。
光岡は自動車メーカーじゃないし。車しか読まないような媒体の記事にこんなふざけた釣り表題や内容の記事を書いていたら馬鹿にして誰も読まなくなるよ。日本以外の先進国で「自動車メーカー」が新しくできたのはテスラだけだし。