なぜ「昔はよかった」 オジサンの定番口癖 車も昔が良かったのか
現在のクルマとは違う、自ら「メカに触れる」楽しさがあった
しかし、オールドエンスーである旧車ファンは、当時のクルマには「自分で愛車のメカに触れる愉しさがあった」と語ります。
1980年代の初めころまで、新車に付属する車載工具は多様でした。車載のコンパクトなジャッキシステム、ホイールを締結するハブナットに合わせたサイズの大きなレンチ、車止め、数種類のサイズの小型レンチセット&モンキーレンチ、プライヤーなどです。
その果てには、スパークプラグを外す(交換する)ためのプラグレンチや、凝ったクルマではタイヤの空気圧ゲージなども含まれて、結構な重量物でした。
ところが、現行カローラのカタログには、工具(ジャッキ&ジャッキハンドル、ハブナットレンチ)としか記載がありません。
たしかに、エンジンルームを覗いても、国産車のガソリンエンジンは、ほぼすべてDOHC4バルブとなりましたが、その燃焼室頂上にあるはずのスパークプラグさえ見つけることは困難です。
過日のオールドエンスーの方々がタイミングベルトにフラッシュライトを当てて、点火タイミングを調整していたようなことは、ほとんど不可能で、不要となっています。
電子部品の集合体で埋まったECUやパワーユニットなどの周辺は、完全にブラックボックス化しており、メーカー毎の専用機器が無ければ調整すらできず、素人が手を出せる領域ではありません。
始動用バッテリーでさえ、今どきはメンテナンスフリーが普通で、バッテリー液の補充などは車検ごとにディーラーがチェックするだけです。ユーザーがおこなえるものとしたら、ウィンドウ・ウォッシャー液の補充とタイヤの空気圧チェック程度でしょうか。
クルマの始動も現在なら、「エンジンスタート」ボタンを押すだけで、とくに儀式めいた作法は必要ありません。
しかし、1970年代までのクルマなら、それぞれのクルマによってエンジン始動(コールドスタート)には気を遣ったものです。
マニュアルチョーク車なら肌で感じた外気温に応じてチョークレバーの引き加減を調整。オートチョークでも寒い季節には、それなりの始動方法がありました。
このようなユーザーによるメンテナンスの自由度、ユーザー故に知る円滑にクルマを走らせるための小技が、昔のクルマを所有する「愉しみ」にとって大切な要素、必要条件だったのでしょう。
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たしかに1960年代後半から1970年代半ばに登場した日本のクルマたちには、「いじる愉しみ」を含めて不思議な魅力が詰まっていました。
しかし、「よかった」かどうかの判断は、一概にはいえないでしょう。昔のクルマはよかったという形容詞+助動詞は、「面白かった」あるいは「愉しかった」に置き換えると分かりやすいかも知れません。
「単純に古い自動車と考えると法外な金額を払っていませんか?」と問われた著名なコレクターが「夢の保管料と考えると高額ではありません」と答えていたから、「昔のクルマは機能的性能的によかった」という意味よりも「憧れることができた、昔のクルマはよかった」という意味ではなかろうか。
自分が希望した車を所持している、といった「精神的な満足感」を与えてくれましたね。
たとえそれが「高性能なスポーツ車」でなくても「良かった」んです。
身の丈に合った「自分に相応しい車」が一番「良かった」と思います。
”良かった”というのも人によって違う。
高い安いもあれば、いじれるのもあるし、懐古趣味的なものもあれば、機能が最低限で使いやすいところや、むしろボタンが多くて余分な機能が充実していて喜ぶ人間もいる。
この手の話は、このページだけでは収まらないのでは?
旧車と新車を並べて比較すればいい
新車に如何に仕事をしない部品が付いてるかが解る。
手を抜いても売れる今の時代と昔の車を比較してはいけませんね。
近年ではセルシオ用の1UZと3UZを比較しても
後発の3UZに1UZの精度は用いられていません。
それは新型と言うだけですぐに食らい付く客をTOYOTAが鴨にしているからです。
昔のカローラは、この類のイカサマが通用しなかった時代だったので優れた製品で答えを出すのが車に限らず企業の姿勢だったわけです。
世界四方八方に生産拠点を建設したこともイカサマ車の生産効率を上げる為で、3ナンバー車種と言うオハチを廻されてるのが日本の市場なんですね
昔をそこまで昔にすると確かにって思うけど、収入の面ではバブル以降下がってるも同然なので、バブル期の懐かしい車の値段と今の車の値段考えたらやはり高いと言わざるを得ないと思うなぁ
何でわざわざ1968年前の収入と比較するかな?!
1980年位から比較すると収入なんて微増だけど、車の値段は倍とかになってんじゃねーの?