初代「ゴルフ」をジウジアーロが作るきっかけとなったクルマとは?【THE CONCEPT】
ジウジアーロが、名車「ゴルフ」を生み出せた理由
VWポルシェ914/6をベース車両に選んだタピーロのスタイルは、イタルデザインとしての第一作「ビッザリーニ・マンタ」の極端なウェッジシェイプを若干大人しくしたプロポーションが基調。そしてカロッツェリア・ギア時代のジウジアーロが手掛けた傑作「デ・トマソ・マングスタ」のごとき左右2分割ガルウィング・スタイルのエンジンフードを採用していた。加えてタピーロでは、ドアまでガルウイングとすることで、すべてを開いた際には極めてエキサイティングな光景が実現することになった。
また、トリノ・ショーでの発表時には「2.4リッターで230psのボクサー6を搭載」するとアナウンスされたが、当時は911の最高性能版Sでも2.2リッター、180psだったことから、いささかの希望的観測が含まれていた可能性も否定できない。
ともあれ、スタイリッシュで鮮烈なデザインのタピーロは、発表会場となった1970年トリノ・ショーでの評判も上々なものだったという。またショー終了後には世界各国の自動車メディアで報じられ、一定数の生産化を待望する声もあったというが、この種のデザインスタディの常として、ただ1台のみの制作に終わってしまう。
しかし、イタルデザインとジウジアーロは、ほぼ時を同じくしてドイツのコーチビルダー、カルマン社と共同で制作したVWタイプ1(ビートル)ベースのコンセプトカー「チータ」、あるいはアウディ「80」をベースに開発され、1973年のフランクフルト・ショーで発表された「アッソ・ディ・ピッケ」の成功も相まって、フォルクスワーゲン・グループ首脳陣の信頼を勝ち得ることに成功。
同社から委ねられた初代「シロッコ」(1974年デビュー)、および自動車史上屈指の傑作となった初代「ゴルフ」(1975年デビュー)のデザインワークを見事にやってのけ、世界的なデザインスタジオとしての地位を確立することになったのはあまりにも有名なストーリーである。
それからのイタルデザイン・ジウジアーロのサクセスストーリーは、もはや誰もが知るところであろう。自社でボディ生産設備を持つ伝統的「カロッツェリア」ではなく、あくまで「デザインスタジオ」としての活動ではあるものの、1970年代から21世紀初頭に至るまで、世界中の自動車メーカーのために魅力的なデザインを提供してきた。
そして2010年、同社はフォルクスワーゲン・グループの傘下に加わったのだが、その源流には遥か40年前に制作されたコンセプトカー、タピーロの存在があったといえよう。
ちなみに「タピーロ」とは、イタリア語で動物の「バク」のこと。今となってはどうしてそんなネーミングをしたかはまったくもって不明なのだが、夢を食べてしまうといわれるバクは、少なくともイタルデザイン・ジウジアーロにとっては、夢を創り出す力を持つ動物だったのかもしれない。
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