「インテグラ」とアルファ ロメオ「GTV」の激似の訳 ピニンファリーナが手掛けた日本車3選

2020年に創業90周年を迎えたピニンファリーナは、フェラーリのデザインで有名だが、かつては日本車のデザインも手掛けてもいる。ピニンファリーナが手掛けた日本車とは、いったいどんなクルマなのだろうか。

ピニンファリーナが手掛けた日産車とは?

 2020年、記念すべき創業90周年を迎えたイタリアの名門カロッツェリア「ピニンファリーナ」は、地元イタリアをはじめとするヨーロッパやアメリカだけではなく、実は日本の自動車メーカーともコラボレーション関係を結んでいたことを覚えている人も多いだろう。

 日本メーカーが、世界に羽ばたこうとしていた1960年代初頭。自動車デザインをリードしていたイタリアのカロッツェリアの門を叩く日本メーカーが続出していた。

 そんななか、日産自動車が選んだ提携相手は、この時代のイタリアのカロッツェリア界の盟主、さらには、全世界の自動車業界におけるデザインリーダーの地位へと上りつつあった、ピニンファリーナだったのだ。

 また時を隔てた1980年代から1990年代には、ホンダもピニンファリーナとのコラボレーション関係を結び、オフィシャルとして、あるいは秘密裏にデザインワークを協業していた。

 今回はピニンファリーナが手掛けた、あるいは手掛けたと目される国産車3台をセレクトし、紹介していくことにしよう。

●日産ダットサン・ブルーバード(二代目410系)

アメリカに輸出されたブルーバード410のワゴン
アメリカに輸出されたブルーバード410のワゴン

 初代と同じく「ダットサン」のブランドネームとともに、1963年(昭和38年)9月にデビュー。形式名から「ブルーバード410」と呼ばれる2代目ブルーバードは、ピニンファリーナによる日本車第1号となったモデルである。

 当時の日本国内マーケットにおけるベストセラーだった310系ブルーバードのあとを継ぎ、さらなる飛躍が期待されていた。

 日産車としては初めてモノコックとされたボディは、全長3995mm×全幅1490mm×全高1415mmという、現在の感覚から見れば極めてコンパクトなものである。2ドア/4ドアセダンのほか、ルーフを延長したステーションワゴン/商用バンも設定されていた。

 いずれも薄くてフラットなルーフや、Aピラーから始まりルーフ全体を「コ」の字型に取り巻く、ひさしのようなドリップモールなどは、同じピニンファリーナが「フィアット1800/2100/2300(1959年発表)」などでも採用していた、典型的な「ファリーナスタイル」を体現するものだった。

 さらに、1950年代から北米GMキャデラック部門とも密接な関係を築いていたピニンファリーナが、1961年のパリ・サロンにおいて初公開したエクスペリメンタルカー、当時ケネディ大統領夫人だったジャクリーン・ケネディに因んで名づけられた「キャデラック・ブロアム・ジャクリーン」にて試行されたデザインテーマがブルーバード410に投入されているのも、重要なトピックといえるだろう。

 ボディサイドにはテールに向かって緩やかに下降する「くぼみ」が設けられ、柔らかなラインを描くテールエンドに同調するという、サイズを思えばスタイリッシュで優雅なもの。このころから輸出が本格化したアメリカでは、大きなヒットを得ることができた。

 ところが肝心の日本では、現在の感覚で見ればエレガントに映るはずのスタイリングが「尻下がり」などと酷評されてしまう。

 この不評を打開するため、くぼみを下降させず、まっすぐ後方に向かって流すとともに、テール周辺を手直しして「尻下がり」を改めた自社デザインのマイナーチェンジ版「411系(1966年4月発売)」に変更したが、ライバルであるトヨタ・コロナの後塵を喫する販売実績を覆すことはできないまま終わってしまった。

●日産セドリック(2代目130系)

ピニンファリーナのデザインに忠実なセドリック130
ピニンファリーナのデザインに忠実なセドリック130

 日産とピニンファリーナのコラボレーション企画第2弾となったのは、当時の日産最高級車だった「セドリック」の2代目だ。1965年(昭和40年)10月に発売され、ファンの間では「130系」のコードナンバーで呼ばれるモデルである。

 初代セドリックが、左右に回り込んだラップラウンド式ウインドシールドや、縦目4灯ヘッドライト(前期のみ)など、1950年代のアメリカ車を縮小したようなスタイリングだったのに対して、2代目セドリックの開発にあたっては、商品企画の段階から欧州車、とくに世界を席巻していたイタリアンデザインを導入することになった。

 基本的なスタイリングは、ランチア・フラミニアで構築された「ファリーナスタイル」。フロントフェンダーよりも低い位置に配されたボンネットや、リアのフラットデッキ。薄いルーフと細いピラーで窓面積を大きくとり、日本の5ナンバー枠一杯となる、全長4680−4690mm×全幅1690mm×全高1455−1470mmという、当時としては堂々たるボディサイズながら独特の軽快感をエレガントに表現していた。

 フロント回りの意匠には、ブルーバード410と同じく、1961年にピニンファリーナが製作したコンセプトカー「キャデラック・ブロアム・ジャクリーン」のモチーフが反映されており、4灯デュアルヘッドライトをフロントフェンダーに融け込ませる、巧みなデザイン処理を披露していた。

 また、インテリアについてもイタリア製高級車のようなメータークラスターが設けられるとともに、ヨーロッパのGTを思わせるセパレートシートも選択可能となるなど、実にスタイリッシュであか抜けた印象をもたらしていたといえるだろう。

 ところが、こちらもブルーバード410と同じく当時の日本には時期尚早だったようで、セールス実績は日産首脳陣の期待を大きく裏切ってしまった。

 1968年9月におこなわれた3度目のマイナーチェンジでは、フロントを中心に大幅なフェイスリフトを実施。シボレーやフォードなど、1960年代中盤のアメリカ製大衆車をそのまま縮小したかのような凡庸なスタイルとなってしまったのは、あくまで私見ながら残念というほかないのだ。

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