アルファ ロメオ ファンなら死ぬまでに一度は行っておきたいミュージアムとは?
コロナ禍によりロックダウンしていたイタリアでは、6月後半には外出自粛が解除された。そこでさっそく、再オープンしたアルファ ロメオの私設ミュージアム「Museo Fratelli Cozzi」を訪ねてみた。どうして、アルファ ロメオのディーラーがミュージアムを開設するに至ったのだろうか。
イタリアでのロックダウン解除後、さっそくアルファ ロメオの私設博物館へ!
2020年6月後半、イタリアではやっと新型コロナ感染拡大防止対策の外出自粛が解除され、移動が可能になって来た頃のこと。3月からクルマのイベントはことごとくキャンセルされ、クルマファンは長い間もやもやした日を送っていた。
そうしたなか、アルファ ロメオの110周年となる2020年6月24日、公式イベントの開催をアルファ ロメオが発表した。
その前の日曜日となる6月21日に、Museo Fratelli Cozziがミラノの伝統あるクルマ愛好家団体「CMAE」と共に早々とミュージアムの再オープンをおこなうと発表。これでやっとクルマファンの「もやもや感」が晴れて来た。
当日はCMAEのメンバーが各自の思い出のクルマに乗ってミュージアムに集まり、皆で一緒にミュージアム見学。そこで今回は、Museo Fratelli Cozziを紹介したい。
●はじまりは、アルファ ロメオのディーラーだった
Museo Fratelli Cozziは、アルフィスタお勧めのこのミュージアム。オーナーであるコッツィ家の長年にわたる「アルファ愛」が詰まったミュージアムだ。
コッツィ家は1955年、アルファ ロメオのディーラー事業を始めた。ミュージアムがあるのはレニャーノ市。聖地、アルファ ロメオ歴史博物館があるアレーゼからクルマで20分も走ればレニャーノに着く。この距離感もアルファ ロメオを取り扱うには最適だったのだろう。
1955年というと、それまで高級車志向だったアルファ ロメオが大衆車を販売し始めた時期だ。この時期に「1900」を始め、「ジュリエッタ・スプリント」、「ジュリエッタ」、「ドルフィン」などが誕生した。
そして1960年代に入ると「ジュリア」、「ジュリアSZ」、「TZ」、「GTA」、「33 ストラダーレ」などレースで抜群の人気を得たクルマが次々に世に出始めた。
ビショーネマーク(アルファ ロメオのロゴ)は、毎週の様に世界中のサーキットで人々に興奮と感動を与え、ここで一気にアルファ ロメオの名前は世界に知れ渡った。いまでも当時のレース写真を見ると感動が伝わって来る。
そして1970年代に入ると、「モントリアル」、「アルファスッド」、「アルフェッタ」、「アルファ6」など、ちょっと裕福な家庭にはアルファ ロメオの姿があった。
その後も「90」、「75」、「164」、「SZ(ES30)」、「155」、「145」、「146」、「GTV」、「156」、「166」、「147」、とアルファモデルの数字が並んでいった。
Fratelli Cozziは1955年から、これらアルファ ロメオの歴史とずっと共に歩んで来たディーラーなのである。
レニャーノのピエトロ・トゼッリ通り46番にあるFratelli Cozzi。ショールームの裏に回ると真っ赤な建物「Museo Fratelli Cozzi」がある。
入り口のドアを開けるとなかも「真っ赤な世界」、そして壁一面に当時のアルファ ロメオの白黒の拡大写真──コッツィ氏がアルファ ロメオを扱う様になってからの販売用の広告写真が大きく引き伸ばされて飾られている。
微笑むブリジットバルドー、「ジュリアTi」のデビューイベントの写真、モンツァのバンクを走行するアルファ、サーキットでチェッカーフラッグを受けるSZ、33のフレロンのヒルクライム、など心に残るシーンが満載。
もうそれを見ただけで、アルファ ロメオの世界に引き込まれてしまう。当時のアルファ ロメオを知っている人たちは思い出が蘇るだろうし、若い子達は、この写真を見ただけで「何だろう、このクルマ!」と興味が湧いてくるだろう。
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