王者に勝負! トヨタ「クラウン/セルシオ」に挑んだ今はなき高級車5選
時代に翻弄され惜しまれながら消滅した名車も
●マツダ「センティア」
歴代のマツダ車では、高級車のラインナップは少ないのですが、かつて高級車に挑戦したこともあります。それが1966年から1991年まで生産された「ルーチェ」です(タクシー車両、教習車としては1995年まで生産)。
高性能なロータリーエンジン搭載車をラインナップするなど、実質のライバルはクラウンというより、下のクラスの「マークII」でした。
そして1991年、もう少し上のセグメントに挑戦すべく送り出された後継モデルが、「センティア」です。
全長4925mm×全幅1795mm×全高1380mmの3ナンバー専用ボディは、直線基調のルーチェとは違い、緩やかな曲線を組み合わせた美しいデザインとなりました。
さらに新時代のマツダのフラッグシップを印象付けるべく、2.5リッターと3リッターのV型6気筒エンジンを搭載。あえてロータリーエンジンの搭載をしなかったのです。
この美しいデザインのセンティアには、「車速感応型4WSシステム」や「ソーラーサンルーフ」を搭載するなど、当時のマツダの最先端技術が盛り込まれました。
センティアは、デザインが優秀なのは誰もが認められていましたが、販売ではクラウン/セルシオのライバルにもなりきれず、1995年には普遍的なルックスをした2代目へとフルモデルチェンジ。
しかしインテリアの質感や高級感はクラウンには及ばず、2000年に生産が終了しました。
●日産「レパードJ.フェリー」
1980年代初頭にスペシャルティカーとしてデビューした「レパード」は、4ドアと2ドアハードトップをラインナップし、5ナンバーとしては十分なサイズのボディに、トップグレードは3リッターV型6気筒ターボエンジンを搭載するなど、贅沢なモデルとして注目されました。
レパードを人気車種に押し上げたのが、1986年に登場した2代目でした。当時大人気だった『あぶない刑事』で主人公2人が乗る愛車としてTVやスクリーンで大活躍したことで、当時は「デートで乗りたい高級クーペ」として人気となります。
しかし、バブル景気が弾けた1992年に、それまでの都会的なデザインのクーペから、丸みを帯びた4ドアの高級サルーンへと方向転換し、名前も「レパードJ.フェリー」へ変更されたのです。
もともとは北米でインフィニティでの販売を想定したセダンで、全長4880mm×全幅1770mm×全高1390mmと、プレステージサルーンにふさわしいサイズを実現。
さらに、大柄なボディに見合うように、3リッターV型6気筒エンジンだけでなく、シーマにも搭載された4.2リッターV型8気筒エンジンを搭載します。
また、フェラーリやマセラティでも採用されているイタリアの名門「ポルトローナ・フラウ」社製の本革シートを80万円でオプション設定するなど超高級路線を狙いましたが、「尻下がり」といわれた曲線デザインのスタイリングが、日本市場では受け入れられませんでした。
その後「レパード」の名に戻され、比較的オーソドックスなルックスのセダンとして、1996年に4代目へとモデルチェンジしました。
●ホンダ「インスパイア/セイバー」
ホンダには「レジェンド」という高級セダンがありますが、世界戦略車「アコード」との隙間を埋めるべく1989年に開発されたのが「アコードインスパイア/ビガー」でした。
当時はクーペテイストを感じさせる4ドアハードトップが人気を集めており、トヨタ「マークII」兄弟や日産「ローレル」なども人気でした。
そこでホンダは、アコードインスパイア/ビガーのコンセプトを「FFミッドシップ」とし、5気筒エンジンを縦置きに搭載したスタイリッシュなスタイルで人気車となります。
ちょうどその頃、日本の税制が変更され、3ナンバー車の自動車税が減税されたことから、2リッターを2.5リッターに拡大した車種が増加。
アコードインスパイア/ビガーも2.5リッター直列5気筒エンジンを搭載し、全長を140mm、全幅を80mm拡大した3ナンバーボディをラインナップに加えます。これがさらにヒットし、一時はマークIIに迫る販売台数を記録したほど人気になりました。
そして、1995年に2代目へとフルモデルチェンジし、全長4840mm×全幅1785mm×全高1405mmの完全な3ナンバーボディへと進化させつつ、車名をアコードインスパイアから「インスパイア」に、姉妹車を「ビガー」から「セイバー」へと名称変更し、インスパイア/セイバー姉妹となりました。
心臓部は、初代と同じ2リッターと2.5リッターの直列5気筒エンジンだけでなく、レジェンドと共通の3.2リッターV型6気筒エンジンを搭載した上級グレードも展開。
これは、アメリカで展開していた高級ブランド「アキュラ」で「TL」として販売するためでもありました。
しかし、バブル崩壊によって、すでに高級セダンの人気が下降しており、ホンダ自らが登場させたミニバン「オデッセイ」の大成功のあおりを受けて、初代ほどの成功を収めることはできませんでした。
さらに1998年、インスパイア/セイバーはフルモデルチェンジしますが、市場はミニバン全盛期でセダンは完全に冬の時代に突入します。
2003年にインスパイアが4代目へフルモデルチェンジする際に車種が統合され、セイバーのネーミングは2代限りで終了してしまいました。
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1980年代から1990年代にかけて、当時の最新技術を盛り込んだ高級車が数多く登場しました。
魅力的なライバル車がたくさん存在するということは、それだけクラウンとセルシオが強力なブランドイメージを持っていたことがうかがい知れます。
JフェリーはVH41DEで4100ccですね、因みにQ45がセルシオを追ったと言うのは販売視点で開発主旨の観点からするとTOYOTAが日産を追った形になります。
TOYOTAは車作りも車造りも上手ではないので1UZとVH41DE及びVH45DEを比較すると差は歴然ですね、TOYOTAの車を良く魅せているのはTOYOTAの下請け会社の職人芸の賜物なのです。
初代セルシオは世界的にも絶賛されてますが音を封じ込める事を静かさと勘違いした初代セルシオは決して良い車ではありません。
バブル期においてコストを注いだら世代としては歴代ナンバーワンですが、そのコストの注ぎ所を局所に見誤った初代セルシオは空調の故障やパワステポンプ真下にオルタネータを配置するなど万が一の油漏れに二重の故障を招く設計をしてしまったわけなんですね、2代目のUCF20系ではコスト削減の追い風の中でも軽量化やハンドル切角を改善して意図してエンジンノイズなど走行中のノイズを車内に取り入れることで自動車の本質に一度は立ち戻った感じがしましたが以降の最終型の30系のセルシオはクラウンの延長線上の車になってしまいました。
確かに販売面では他社がセルシオを追ってるようにも見えますが開発の主旨は各々独特の構想から出た車なんです。
マツダ センティアなどは4WSを採用するなどTOYOTAと比較するのは路線が違うわけなんですよ
マツダはイメージではロータリーですがセンティアのV6は中々良いエンジンでしたね。
サイノス?クロノス?忘れましたがFFにV6を搭載した車種では他社より群を抜いてましたし、これにより三菱のFTOなど2000cc級のV6車も出て来ました。
レジェンドなど記事に出てくるホンダの車はFFミドシップとしてエンジンを縦に搭載するなど元々セルシオを目標になどしていないのが現実なんですね。