ブガッティ「ヴェイロン」は、東京−名古屋間の新幹線車内で生まれた!

東京モーターショーで発表された「ヴェイロン」コンセプトスタディとは?

 イタルデザイン・ジウジアーロの協力のもと、最初に手掛けたコンセプトカー「EB118」は、VWグループによる買収からほんの数か月で完成。1998年10月のパリ・サロンにて、ブガッティ復活を告げる嚆矢として初公開された。

●初期のデザインスタディたち

市販モデルが誕生するまでに手がけられたコンセプトカーたち
市販モデルが誕生するまでに手がけられたコンセプトカーたち

 アルミスペースフレーム構造と、エットレの息子ジャン・ブガッティがかつて手がけた「T57」を現代に昇華させたようなゴージャスなデザインを持つ2ドアクーペで、フロントに6.25リッターのW型18気筒自然吸気エンジンを搭載するフルタイム4WD車であった。

 しかし、ブガッティの攻勢は止まらない。翌1999年春のジュネーヴ・ショーでは、4ドアサルーン化した2番目のコンセプトカー「EB218」を上梓。

 さらに同じ1999年の秋には、フランクフルトショーにて、のちのブガッティの方向性を示唆する「EB 18/3シロン」もショーデビューを図ることになった。

 それまでの豪華なサルーンおよびコーチ(クーペ)から、よりスポーティなスーパースポーツカーへと初めて切り替えられた「元祖シロン」は、数々のグランプリで勝利を得たレーシングドライバー、ルイ・シロンにオマージュを捧げた車名に相応しい、正真正銘のスポーツカーである。

 イタルデザインから提案された第3のコンセプトを、当時のフォルクスワーゲン社デザインセンターに所属するハルトムート・ヴァルクス氏の補佐によって完成したもので、ブガッティの伝統的なラインからはきっぱりと独立した、非常にユニークなデザインとされていた。

 そして、フランクフルト・ショーから1か月後にあたる1999年東京モーターショーでは、新生ブガッティにとって第4のコンセプトスタディとなる「EB 18/4 ヴェイロン」が発表された。のちに世界を変えることになるハイパースポーツカーの原型が、ついにワールドプレミアに至ったのである。

 VWデザインセンターのハルトムート・ヴァルクス氏が主導し、若くて有能なスタイリスト、ヨゼフ・カバン氏がデザインワークを手掛けたヴェイロンは、ショーデビューから格別に高い人気を博した。この時、世界各国のエキスパートや見込みのあるエンドユーザー候補たちの示した熱烈な反応から、ブガッティは同ブランドのシリーズ生産第1弾として、ヴェイロンを選択するに至ったのである。

●2001年、ヴェイロンのシリーズ生産が決定

2000年9月のパリ・サロンにてお披露目された、シリーズ生産を意識した最初のブガッティ・プロトタイプ「EB16・4ヴェイロン」
2000年9月のパリ・サロンにてお披露目された、シリーズ生産を意識した最初のブガッティ・プロトタイプ「EB16・4ヴェイロン」

 2000年9月のパリ・サロンにて、シリーズ生産を意識した最初のブガッティ・プロトタイプ「EB16・4ヴェイロン」が初公開された。

 前年の第1次コンセプトカーとのもっとも大きな違いは、シリンダーの数である。それまでの18気筒に代えて、ピエヒ博士とブガッティ技術陣は16気筒への仕様変更を決定していた。

 これはピエヒ博士の新たな指針、1000ps以上のパワーと400km/h以上の最高速度を達成するためには不可避的な方策だった。

 これだけのパワーを得るにはターボ過給が不可欠なのだが、そのためには3つのバンクを持つW18ユニットは、レイアウト上および熱対策上にも極めて不利と判断されたのだ。

 そこで彼らは、やはりフォルクスワーゲンに端を発する「W8」ユニットを二重化したW型16気筒8リッターという、前代未聞のパワーユニットを開発する。

 もともとバンク角15度の挟角V型4気筒を、さらに90度のバンク角でV型につないだW8ユニットは、古典的なV8エンジンより軽くてコンパクト。それを2基つないだ上に、4つのターボチャージャーを組み合わせ、1000ps以上のパワーを目指すとされた。

 そして、この凄まじいパワープラントにフルタイム4WDのドライブトレインを介して400km/hを超えるスピードをもたらす。それが、ヴェイロンの揺るぎない目標となった。

 そして2001年、新生ブガッティはヴェイロンの限定生産をおこなう旨を、ついに明かした。生産型の8リッターW16・4ターボエンジンは、1001psのパワーと1250Nmのトルクを発生。406km/hという最高速度に加えて、0−100km/h加速タイムは、実に2.5秒という、まさしく人類の夢ともいうべき超高性能を、新しいハイパーカーにもたらすことが発表されたのだ。

「ヴェイロンは、ブガッティを過去に前例がない新しい次元へと送り出しました」そうシュテファン・ヴィンケルマンCEOは言う。

「このクルマによって規定されたハイパースポーツカーの定義は、開祖エットレ・ブガッティが大切にしてきた世界最高のブランドの復活を実現しました。エットレは自身の芸術を究める方策として、エンジニアリングを高めていました。彼は、自身が目指したもの。すべてが究極の完璧さのために、いつも最大限の努力を図っていました」

 フェルディナント・ピエヒ博士と彼のスタッフたちが、ヴェイロンとともに到達したのは、いみじくもエットレ・ブガッティがかつて到達した世界と同等のものだったのである。

【画像】新幹線内で描かれた、ブガッティ「ヴェイロン」誕生のきっかけとなったスケッチとは?(13枚)

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