ベントレーボーイズは現代版セレブなアイドル!? 復刻される戦前の「ブロワー」とは?
英国のラグジュアリーブランドがこぞって往年の名車を復刻生産している。ベントレーがコンティニュエーションシリーズとして最初に選んだのは、戦前の「4 1/2Litreブロワー」だった。
英国ラグジュアリーブランドは、復刻生産ブーム
2019年秋にベントレー社から公表された「往年の名作『4 1/2Litreブロワー』を、12台限定で復刻生産する」というニュースは、全世界のベントレー愛好家、さらにはヴィンテージカー愛好家にとっても、まさしくサプライズというべき朗報だった。
そして、新型コロナウイルスの惨禍によって全世界が意気消沈している現在においても、この復刻モデル「ブロワー・コンティニュエーションシリーズ」プロジェクトは、最新テクノロジーを駆使したテレワークによって鋭意進行中であることが判明。このプロジェクトの去就にやきもきしていたベントレー愛好家を安堵させることになった。
昨今の英国プレミアムブランドでは、クラシック部門による歴史的クラシックモデルを継続のかたちで復刻生産する「コンティニュエーション」が、ちょっとした流行となっている。
ジャガーの「XK-SS」を皮切りに、同じくジャガー「Eタイプ・ライトウェイト」、アストンマーティンでは「DB4GT」やそのザガート版たる「DB4GTザガート」(最新のDBS-GTザガートとセット販売)、あるいは「DB5ボンドカー」など、いずれもそうそうたる名車たちが「継続生産」されている。
そんななか、名門ベントレーが初の「コンティニュエーション」の対象として選んだのは、第二次大戦前の古めかしい4 1/2Litreブロワーだったのだが、なぜ彼らは記念すべき第一作をブロワーとしたのか? そもそも、ブロワーとはどんなクルマなのか?
今回は、ベントレー・ブロワーのストーリーをひも解くことによって、そんな疑問に応えさせていただくことにしよう。
●ベントレーボーイズの伝説を象徴する名車
「W.O」の愛称で知られる名門ベントレーの創業者、ウォルター・オーウェン・ベントレーが、ロンドン近郊クリクルウッドの工場で自ら開発・製作していた1930年までのベントレー車は、彼のイニシャルから「W.O.ベントレー」と呼ばれ、いまも世界中のヴィンテージカー愛好家から敬愛されている。
この時代のベントレーは、純粋なスポーツカーが基本形。かなりスパルタンな成り立ちを持ち、ほぼノーマルの状態でル・マン24時間レースなどのビッグイベントで勝利を収めていた。
そして、この時代のレース活動を支えていたのが、自主参加のワークスチーム「ベントレーボーイズ」である。
彼らはW.O.とその作品に心酔し、身銭を切ってベントレー車を購入。命がけのレースに挑戦した、裕福な若者たちである。
ベントレーボーイズは、当時の英国ではアイドル的存在となり、そのファッションやライフスタイル、さらにはフェアプレイ精神までもが若者たちに絶大な影響を与えたという。そんな熱狂的ファンの一人が、ベントレーボーイズのリーダー格であるジョン・ダフ大尉が経営するベントレー代理店にてW.O.ベントレー3Litreスピードモデルを購入した若き日本人留学生、白洲次郎だった。
まだ二十歳そこそこの次郎はボーイズたちの主催するパーティにも招かれ、彼らの崇高なフェアプレイ精神に薫陶を受けたことから、のちの彼を支えた信条「ノブレス・オブリージュ」の一端を心に宿したともいわれているのだ。
かくのごとく華やかにしてストイックなW.O.時代には、きら星のごとき傑作車が続々と生み出されたが、なかでも今なお最高の語り草となっているのが「4 1/2Litreブロワー」なのだ。
これもベントレーの傑作として知られるエンジン「4 1/2Litre」に、英国ヴィリヤーズ社製の巨大なスーパーチャージャーを装着し、実に175Hp-180Hpという大出力を発生。
エンスージアストの間では「ブロワーベントレー」とも呼ばれ、今なおW.O.時代の象徴的存在として敬愛される、超弩級スーパースポーツであった。
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