欧州に渡ったスカイライン!? GT-R復活前夜の特別な1台とは
スカイラインGTS-Rが残した功績とは!?
1987年当時の全日本ツーリングカー選手権には、トヨタ「スープラ」、フォード「シエラRS500コスワース」三菱「スタリオン」など、強豪がひしめく状況でした。
そんななか、スカイラインGTS-Rはライバルと対等以上の戦い見せ、1989年のシーズンでは長谷見昌弘/A.オロフソン組が3勝を挙げ、シリーズタイトルを獲得。
辛くもチャンピオンとなったスカイラインGTS-Rでしたが、他を圧倒するようなパフォーマンスではなく、1990年からは16年ぶりに復活したスカイラインGT-Rで参戦します。
スカイラインGT-Rは無敵の強さで連勝を重ね、いまでは伝説にまでなりました。そうして役目を終えたスカイラインGTS-Rには、実はもうひとつのストーリーがあります。
それは、スカイラインでは初となる海外のレース「欧州ツーリングカー選手権」への参戦です。
このツーリングカー選手権は、市販車のポテンシャルを証明することで、販売増に繋がるという効果が期待できました。
スカイラインGT-Rが強さを見せ、約500万円という高額なモデルながら人気となったのは、まさにレースの効果です。
では、欧州をはじめ輸出されなかったスカイラインが、なぜ欧州ツーリングカー選手権に参戦したのでしょうか。それは後の「ル・マン24時間耐久レース」への布石でした。
1988年シーズンを戦うためにイギリスに「NME(日産モータースポーツ・ヨーロッパ)」という拠点を設け、文字どおり欧州を転戦。
マシンは日本のグループA車両と同等の仕様で(排気量は異なる)、また、イギリスで仕立てていたので、電装系やシートなどのパーツ類も日本の仕様とは異なっていたといいます。
そうして欧州ツーリングカー選手権を戦ったスカイラインGTS-Rは、最高位はスパ・フランコルシャン24時間レースの6位と、大きな結果は残していません。
わずか1シーズンの戦いでしたが、日産ワークスによる後のル・マン24時間耐久レース挑戦への体制作りに、多大な貢献をしました。
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歴代スカイラインの多くは、レースで輝きました。スカイラインGT-Rは、その集大成といえます。
しかし、このスカイラインGTS-Rがあったからこそ、伝説につながったのではないでしょうか。
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