「500」の名を持つ可愛いフィアット3選。チンクエチェント歴代物語
世界的人気を不動のものにしたヌォーヴァ500は、ルパン三世の愛車!?
フィアット500の歴史のなかでも、最もアイコニックな存在であるのが二代目だ。いまや日本のみならず、フィアットの母国イタリアを含む全世界で人気のコミック/アニメ「ルパン三世」の主人公の愛車として認知されている「ヌォーヴァ500」シリーズは、第二次世界大戦後のイタリアに、再びモータリゼーションを取り戻させた偉大なクルマといえるだろう。
●フィアット・ヌォーヴァ500(1957年~75年)
第二次大戦の敗戦、およびそののちの強烈なインフレーションの影響を受けて、戦後イタリアの経済状況は事実上の壊滅状態にあった。そんな状況のもとでは、戦前から継続生産されていたフィアット500トポリーノや、その後継車として55年にデビューした「600(セイチェント)」さえも贅沢とする風潮が蔓延。
フィアットは「ヴェスパ」や「ランブレッタ」に代表される2輪スクーターや「イゾ・イセッタ」などのキャビンスクーターに流れていった購買層を、なかなか取り戻せないでいた。
そこでダンテ・ジアコーザ博士が率いるフィアット技術陣は、新たに600をさらにひと回り小型化した最廉価モデルの開発に着手する。
「ティーポ110」という社内コードナンバーが付けられた新型小型車。そのメカニズムは、可愛らしいモノコックボディから前後サスペンションに至るまで、600を忠実に縮小したものだった。しかしRRレイアウトに搭載されるパワーユニットは、600用の水冷直列4気筒エンジンを縮小するのではなく、専用の空冷直列2気筒OHVを新たに設計。初期モデルでは479ccの排気量から16.5psを発揮した。
こうして1957年7月4日に発表された新しいミニマム・フィアットは、かつての名ベーシックカーの名前にあやかり「ヌォーヴァ500(新500)」と名付けられた。
ヌォーヴァ500はデビュー3年後となる1960年に、空冷2気筒エンジンを499.5cc/19.5psまでスケールアップした「500D」へと発展。また時を同じくして、テールのオーバーハングを延長するとともに、直列2気筒エンジンを水平に倒すことによってラゲッジスペースを確保したワゴンモデル「ジャルディニエラ」も追加された。
そして、その後も幾たびものマイナーチェンジを繰り返し、結局1975年まで18年にもわたって生産されるロングセラーとなったのである。
●フィアット500(2007年~)
フォルクスワーゲン「Newビートル(1998年発売)」やBMW製「MINI(2001年発売)」の商業的成功を見て、今世紀初頭からはフィアットにも往年の偉大な名作500の現代版を求めるリクエストが数多く寄せられていたという。
その要望に応えるかたちで、前輪駆動ながらヌォーヴァ500を現代に昇華したかのようなスタイルを持つコンセプトカー「トレピウーノ」が、2004年春のジュネーヴ・ショーにて初公開された。日本を含む全世界のチンクエチェント愛好家から圧倒的な支持を得たことから、生産化プロジェクトが本格的にスタートすることになる。
生産モデルのフィアット500は、2003年に発表されていた二代目「パンダ」のメカニズムを流用。したがって、パンダと同じくFFである。また欧州フォードとのコラボ企画とされ、プラットフォームなどは2008年に登場するフォード二代目「Ka」にも流用された。
ところで、プロトタイプにあたる「トレピウーノ(Trepiuno)」とは「Tre(3)」「Piu(+)」「Uno(1)」、つまり「3+1」をイタリア語で表したもの。その名が示すように助手席を前方にずらすことで、リア一席分のレッグスペースを確保。運転席背後のシートは非常用とする変則的な3+1シーターだったが、生産型の500ではボディを若干大型化することで、なんとか通常の4座席とした。
こうして開発された期待の新星フィアット500は、ヌォーヴァ500のデビューからきっかり半世紀後となる2007年7月4日、ベルルスコーニ元首相が所有するイタリア最大の民放TV局「Canal 5」にてイタリア全土に向けて生中継されながら、大々的にワールドプレミアした。その誕生はまさに国をあげたお祭りで、のちの大ヒットを暗示していた。
ヨーロッパや日本、北米でも旋風を巻き起こした新しい500は、2009年にはルーフとリアウインドウをたたむことのできるセミオープン版「500C」が追加されたほか、2010年には往年のヌォーヴァ500と同じく直列2気筒(ただし水冷)の「ツインエア」エンジンも設定。そして2015年には初の大規模なフェイスリフトを受け、次世代モデルである新型500が登場したのちも、当面は並行生産されるとのことである。
●番外:フィアット・チンクエチェント(1991年~1998年)
ポーランドにて、往年のフィアット「126」を長らく生産していたFSM社が、フィアットの完全子会社として傘下に加わった際に開発された小型車。数字の「500」ではなく「Cinquecento(チンクエチェント=イタリア語で500の意)」と名づけられ、イタリアをはじめとするEU諸国でも、パンダよりさらに小さなエントリーモデルとして販売されることになった。
内外装のデザインは歴代の500との関連性はまったく感じさせない、オーソドックスかつクリーンな2BOXスタイルながら、当時の欧州において最も安価な小型車のひとつとして高い人気を得た。
また、ラリー競技への進出を目指す若手ドライバーの登竜門「トロフェオ選手権」のための専用マシン「チンクエチェント・トロフェオ」も、アバルトとのコラボで開発された。
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