エンツォも一発OK! フェラーリやブガッティ、パガーニの公式トラベルバッグとは?【イタリア通信】
フェラーリだけでなく、ランボ、パガーニ、ブガッティといった一流ブランドともコラボレーション
1983年からは、スケドーニはF1のシートも手がけることになる。どうしてスケドーニがF1のシートをつくることになったのだろうか。
1982年、ベルギーGP(ゾルダー)の予選2日目のことだった。ジル・ヴィルヌーブのフェラーリとヨッヘン・マスのマーチが接触してしまい、その衝撃でヴィルヌーブはシートごと車外に投げ出され、コース脇のフェンスに叩きつけられて死亡するという事故があった。
この事故から世間はF1に「安全性」を問うようになり、世間の目は事故を起こしたフェラーリに向けられた。そこでエンツォは、シートの安全性を確保するための解決策を、サプライヤーであるスケドーニに相談した。
エンツォから直談判されたスケドーニは、先ずは資材選びから始めたという。いろいろとテストした結果、牛革より軽い豚革(ピッグスキン)の滑りにくいスウェードを選んだ。
フェラーリから渡されたカーボンファイバーのシートシェルに、スウェードを張り、試作品は完成。その試作品をエンツォの元へ届けた。
エンツォは、シートの出来栄えには感動したものの、なかなか金額が折り合わなかったそうだ。さすが実業家のエンツォは、最終的にこのシートは「ファンの一人としてフェラーリ優勝のために貢献したい」と、スケドーニからのプレゼントという形で決着がついた。
こうした経緯があり、エンツォは申し訳ないと思ったのか、スケドーニのロゴをシートに大きく付けるようにマウロに直接提案する。おかげでスケドーニの名前が世界中のF1中継で時々流れるようになった。スケドーニファミリーにとって、これ以上の喜びはない。
また、エンツォから、「剥がしたシートにはドライバー名、レース開催日、サーキット名を書き、サインをするように。このシートはただのピッグスキンではない、立派な芸術作品なのだから」と嬉しい助言までもらったという。
こうしてスケドーニのピッグスキンのシートは、1983年の126C、ドライバーはルネ・アルヌとパトリック・タンベイから始まり2003年まで、およそ20年間も採用され続けた。
残念ながら、軽量化のためスケドーニのピッグスキンはシートに張られることがなくなった。その後はドライビングに必要なパットのみをスケドーニは供給している。
当時のF1では、ワンシーズンに6枚から10枚のシートの表皮が張り替えられていた。スケドーニがフェラーリに供給していた約20年の間に、およそ200枚のシートから剥がされたピッグスキンが、スケドーニ社内に保管されている。(スケドーニの社内には、フェラーリに供給していた約20年の間にたまった、およそ200枚のピッグスキンが保管されている。)まさしくスクーデリア・フェラーリのひとつの歴史といっていいだろう
こうしてフェラーリと仕事をしていくうちに、スケドーニの評判は自動車業界に広まっていった。
彼らの信頼おける人柄と、高い技術力は多くの自動車メーカーに認められ、フェラーリをはじめ、パガーニ、ランボルギーニ、アウディ、アストンマーティン、ブガッティ、マクラーレン、アルファロメオ、ベントレー、ロールス・ロイスはもちろんのこと、イタルデザインが手掛けた日産GT-Rにも採用されている。
いまやスケドーニは、世界の高級自動車にトラベルバックやディーラー用の営業のためのケースを供給する一流メーカーとなった。
スケドーニ社は、いつ訪れても、あたたかく私のことを迎えてくれる。従業員約30人。現在はシモーネの甥のアレッシオが、スケドーニ社の5代目として働いている。いずれは息子のニッコロもスケドーニで働く予定だ。
従業員は皆家族、そんな雰囲気が伝わる古き良きイタリアの形を継承しているスケドーニは、「大勢の家族」とともに高い技術力と誠実さで、モデナから世界に挑み続ける。2019年には、新たにオリジナルのスケドーニ・ブランドを立ち上げた。スケドーニの名前を冠したバッグなどが、いずれ日本にも上陸することだろう。
ちなみに、各メーカーのトラベルバッグが気になる人は、正規ディーラーに問い合わせるとよい(現行モデルのみ)。
・取材協力:スケドーニ/www.schedoni.com
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