東京オートサロン直前! エアロパーツの歴史を振り返る

いまやディーラーで数多くのオプションとして選択できるクルマのエアロパーツ(外装パーツ)。しかし、ひと昔前までエアロパーツは改造車にしか装着されていませんでした。いかにしてエアロパーツは市民権を得たのでしょうか。

エアロパーツは、チューニングの延長からドレスアップパーツへ!

 正規ディーラーで、オプションとしてさまざまなエアロパーツ、外装パーツを選べる時代になりました。しかし、ほんの30年ほど前までは、エアロパーツを纏ったクルマは、まだマイナーな存在でした。
 
 エアロパーツがどのようにして市民権を得ていまに至ったのか、その歴史と、爆発的に人気を博したエアロキットを紹介します。

有機的なラインが特徴的だった、ヴェイルサイドのコンバットシリーズ
有機的なラインが特徴的だった、ヴェイルサイドのコンバットシリーズ

 本格的にエアロパーツが注目されはじめたのは、今からさかのぼること25年ほど前です。この当時はまだ、エンジンパワーを追求するチューニングが主流で、クルマの外装にこだわるオーナーは少数派でした。
 
 チューニングのベース車両となったのは、日産「シルビア」(S13)、マツダ「RX−7」(FC-3S)、トヨタ「スープラ」(70)でした。
 
 このなかでもRX-7は、JSSレース(ジャパン・スーパースポーツ・セダンレース)の影響もあり、ボディキットがリリースされていましたが、それ以外の車種では、純正スポイラーに追加装着させるリップスポイラー程度で、フロント、サイド、リアバンパーを含めたフルキットのエアロパーツは存在していませんでした。
 
 このような時代に、クルマの外装パーツ、エアロパーツをクローズアップした「CARism(カリスマ)」というカスタム雑誌が創刊されました。この雑誌は、エアロパーツを装着したクルマをビジュアルを作り込んで紹介することでその魅力を伝え、クルマのチューニングとは別にドレスアップというカスタムを広める役割を持ちました。
 
 CARismは当初スポーツカーのエアロパーツ装着車両を紹介していましたが、その後セダン、ワゴン、軽自動車へと広がります。こうして、ミニバンという言葉が世に広まる1990年代には、エアロパーツの装着が市民権を得て、新型車の登場とともに専用のフルエアロキットがエアロパーツメーカーからリリースされるようになります。
 
 この現象は自動車メーカーにも強く影響を及ぼし、ディーラーで数多くの外装キットをオプションとして選べるようになりました。
 
 さらに、メーカー直系のTRD、ニスモ、無限、STi、ラリアートといったレース部門からもストリート向けにボディキットが次々とリリースされ、ワークスカーのようなクルマにカスタムすることが流行りました。

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