技術の日産が面白いクルマを作っていた!? 日産の珍車・迷車5選
数々の名車やヒット作を生み出してきた日産ですが、歴代車のなかには珍しいモデルや「よくぞ出した」というような迷車が存在します。そんな、日産の珍車・迷車を5車種ピックアップして紹介します。
昔の日産車にはユニークなクルマが多数存在
日産はこれまで「スカイラインGT-R」「フェアレディZ」のような高性能車や、「プリメーラ」「マーチ」などのベストセラーカーを多数販売してきました。
一方で、「よくぞ出した」というくらいユニークで、いまでは珍しいクルマも世に出しています。そこで、日産の歴代車のなかから珍車・迷車を5車種ピックアップして紹介します。
●エクサ
日産初のFF車「チェリー」の後継車として、1978年に発売されたコンパクトカー「パルサー」は、新世代のファミリーカーという位置づけでした。
2代目パルサーでは、スポーティな2ドアクーペの「パルサーエクサ」が加わり、1986年のフルモデルチェンジの際に「エクサ」に改名します。
エクサはクーペタイプの3ドアハッチバックで、リアハッチの形状が2種類あり、ひとつは「クーペ」で、もうひとつはステーションワゴンのような荷室の「キャノピー」でした。
どちらのタイプもリアハッチの取り外しが可能で、リアシート側をオープンにすることができ、フロント側の屋根もTバールーフになっていたので、オープンエアドライブが楽しめました。
しかし、外したリアハッチの置き場をどうするかという問題があったため、住環境によってはフルオープンにするのは難しかったようです。
なお、日本仕様のリアハッチはクーペとキャノピーで互換性がなく、着せ替えはできませんでしたが、海外仕様では可能でした。
斬新なアイデアとスタイリッシュなデザインで当時の若者からは支持され、いまもエクサのオーナーズクラブがあるほどです。
●ブルーバード オーズィー
1987年に発売されたミドルサイズセダンの8代目「ブルーバード」は、画期的なフルタイム4WDシステムの「ATTESA」を搭載した、革新的なモデルでした。そして、1991年に「ブルーバード オーズィー」がラインナップに加わります。
「オーズィー」という車名は「オーストラリアの」という意味を持つ「Aussie(オージー)」という英単語に由来し、生産は日産のオーストラリア工場でおこなった輸入車でした。
ブルーバード オーズィーは、オーストラリアでは「ピンターラ」というクルマで、8代目ブルーバードをベースにしていたことから、日本での販売にあたってはブルーバードの名称が用いられました。
ブルーバードとの差はボディ形状で、通常モデルは4ドアセダンでしたが、ブルーバード オーズィーはステーションワゴンに近い5ドアハッチバックでした。
使い勝手もよさそうなボディ形状ですが、当時の日本では5ドアハッチバックに馴染みが薄かったためか、販売台数は少なかったといいます。
日産は1993年にオーストラリア工場を閉鎖し、ブルーバード オーズィーも同時に生産を終了。わずか2年の販売だったため、いまではかなりレアなクルマです。
●セドリック ロイヤルリムジン
かつて、日産の高級車というとフラッグシップに「プレジデント」があり、その下に「シーマ」、そして「セドリック/グロリア」という序列でした。
プレジデントは運転手がいるショーファードリブンのクルマで、シーマとセドリック/グロリアはオーナーが運転するオーナードリブンという位置づけですが、7代目セドリックにショーファードリブンのモデルがあったのは、意外と知られていません。
日産の特装車を生産していたオーテックジャパンが、7代目セドリックをベースにリムジンに仕立てた「セドリック ロイヤルリムジン」がそれです。
セドリック ロイヤルリムジンは1987年に発売。ベース車のシャシを切って600mm伸ばしてつなぎ直す「ストレッチリムジン」と呼ばれる手法で製造されました。
リアシートは広大な足元のスペースが用意され、前席と後席隔離する仕切りにはテレビやオーディオセットなどを装備し、価格は約1500万円からでした。
なお、リムジンではありませんがホイールベースを150mm延長した「セドリック ブロアムL」というモデルもあり、1996年に発売されています。
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