出るのが早すぎた? 時代を先取り過ぎたクルマ3選

ミニバンの先祖? 日産「プレーリー」とは

●日産「プレーリー」

いまのミニバンの要素をすべて持っていた「プレーリー」
いまのミニバンの要素をすべて持っていた「プレーリー」

 1982年に日産は画期的なパッケージの5ドアワゴン「プレーリー」を発売しました。

 ルーフを高くしたルックスや、コラムシフトにベンチシートの3列シート、開口部が大きなセンターピラーレス構造の後席両側スライドドアによる優れた乗降性や居住性など、現在の国内市場で人気カテゴリーであるミニバンの元祖といえるものでした。

 FFセダンベースだったので、低いインパネや大きなガラスエリアの採用で優れた視界を確保でき、運転しやすい構造に仕立てられているのも、きちんと考えられた結果です。

 また、当時の「パルサーバン」から転用されたサスペンションのトーションバー・スプリング(ねじりバネ)によって、驚くほどの超低床レイアウトを実現したことで、回転対座シートが備わる3列シート8人乗り、折り畳み式後席の2列シート5人乗り、固定式後席の採用で快適性を重視した2列シート5人乗り、4ナンバー登録の商用バンの3人乗りと6人乗りなど、同じ車種とは思えないほどのバリエーションを展開しました。

 しかし、最大のセールスポイントであった「センターピラーレス構造」によるボディ剛性の低さや、最高出力100馬力の1.8リッターと、85馬力の1.5リッター直列4気筒SOHCエンジンの非力さもあり、コンセプトは高く評価されながらも販売数は伸びませんでした。

 その後1985年のマイナーチェンジではリアハッチゲートの構造変更によるボディ補強を施し、110馬力を発揮する2リッターエンジン搭載車や4WD車も追加ラインナップしましたが高い評価を得られず、1988年に2代目へバトンタッチ。

 2代目プレーリーはオーソドックスな設計のミニバンとなり、パワフルな2リッター直列4気筒DOHCの「SR20DE型」エンジン搭載などにより一時的に販売数は増えたものの、同時期のホンダ「オデッセイ」に勝つことはありませんでした。

 3代目では車名が「リバティ」に変更されたことでプレーリーの名前は消えることとなり、さらに後継の「ラフェスタ」になりますが、トールワゴンタイプの方が使い勝手がよいため、最終的には「セレナ」に統合されます。

※ ※ ※

 今回、紹介したクルマはどれもコンセプトが明確で、アイデアあふれるものでした。もし、時代の求めるニーズがマッチしていれば売れ筋モデルになっていたかも知れません。

 いまのクルマは「失敗できない」という重圧なのか、保守的なイメージすら感じられます。しかし、結果的に失敗してしまったこれらのクルマからは、志の高さがうかがえるのではないでしょうか。

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1件のコメント

  1. 早かれ遅かれ売れない物は売れない。

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