名車か迷車か!? 海外デザイナーが手がけた国産車5選

外国人デザイナー監修のクルマといえば、ユニークなデザインが多いことで知られています。今回は、そんな「外国人デザイナーによる日本車」をテーマに、記憶に残るクルマ5台を紹介します。

外国人デザイナーによる名車や迷車たち

 近年、国産車のデザインを海外のデザイン会社が監修する機会は少なくなり、国内外に在籍する社内デザイナーが担当することが増えています。

ミケロッティによりデザインされたプリンス「スカイラインスポーツ」
ミケロッティによりデザインされたプリンス「スカイラインスポーツ」

 しかし、かつては外国人デザイナーによりデザインされたクルマが多く存在し、個性的なモデルや先進的なモデルもあり、大いに話題になったこともありました。

 そこで、外国人デザイナーが手がけた日本車5車種をピックアップして紹介します。

●プリンス「スカイラインスポーツ」

 プリンス自動車が日産と合併する以前の1962年、イタリアの著名なデザイナー、ジョヴァンニ・ミケロッティのデザインによるプリンス「スカイラインスポーツ」が発売されました。

 それに先立って1960年にイタリアのトリノ国際自動車ショーで、青のクーペと白のコンバーチブル2台のスカイラインスポーツのプロトタイプが展示され、大きな反響を呼びます。

 スカイラインスポーツは、当時の日本車のデザインとは一線を画するほど流麗なスタイルで、内装も欧州のスポーツカーのような美しさと豪華さが共存。

 エンジンは1.9リッターの直列4気筒で94馬力を発揮し、シャシとともに「グロリア」のものが流用されていました。

 また、装備も当時としては先進的だった、オートチューニング機能があるラジオが標準で採用されるなど高級車に分類され、価格もクーペが185万円、コンバーチブルが195万円でした。

 1962年に国家公務員の大卒初任給が1万5000円ほどだったことを考えると、いまなら2500万円くらいの価格に換算されます。

 あまりにも高価だったことと、ボディの多くがハンドメイドだったため、生産台数はクーペが35台、コンバーチブルが25台と、わずか60台しか生産されなかった非常に希少な名車です。

●いすゞ「117クーペ」

 クルマに詳しい人でしたら、外国人カーデザイナーと聞いて、真っ先に思いつくのはイタリア人カーデザイナーのジョルジェット・ジウジアーロでしょう。

 そのジウジアーロがデザインを監修したことで有名なのが、1968年に発売されたいすゞ「117クーペ」です。

 日本がマイカーブーム黎明期だったころ、いすゞはイタリアの名門デザインスタジオのカロッツェリア・ギア社にスペシャルティカーの製作を依頼。

 同社のチーフデザイナーであったジウジアーロがデザインを担当し、エレガントなフォルムの117クーペが仕上がりました。

 1966年3月のジュネーブショーで発表され、コンクール・デレガンスで優勝。さらに同年秋の東京モーターショーでも賞賛を博しました。

 エンジンは1.6リッター直列4気筒DOHCで120馬力を発揮し、最高速度は200km/hに達したといいます。1969年にいすゞが出した広告では「いすゞは無個性な車はつくらない」と書かれ、117クーペが特別な1台であることをアピールしていました。

●スバル「アルシオーネSVX」

 いすゞ「117クーペ」と同じくジウジアーロがデザインを担当したのが、1991年に販売を開始したスバル「アルシオーネSVX」です。

 スペシャルティカーとして開発された同車は、大きなグラスエリアを持つエクステリアが特徴的なクーペであり、車高を低く落とし横幅を広めにしたボディ形状でワイド&ローを強調。曲面を多用して流麗さを作り上げていました。

 優れたスタイリングコンセプトとメカニズムを持ったアルシオーネSVXであったものの、当時の販売時期がバブル崩壊と重なり、さらに当時のスバルブランドとは距離のある高級車という位置づけから、販売面で苦戦を強いられる結果となってしまいました。

 名デザイナー監修の美しいデザインの反面、価格の影響で販売面での矛盾を抱えるバブル崩壊を象徴するようなモデルといえるでしょう。

 なお、現在ではアルシオーネSVXを専門に扱う中古車店もあるなど、一定のファンを獲得しています。

●三菱「ランサーエボリューションVIII」

 国産スポーツカーとしての人気が高く、愛好家が多いことで知られている三菱「ランサーエボリューション」シリーズですが、2003年に発売された「ランサーエボリューションVIII」はフランス人カーデザイナー、オリビエ・ブーレイの意向が取り入れられたモデルでした。

 ブーレイは過去にスバルに在籍し、2代目レガシィのデザインを手がけ、さらに日本の自動車メーカーにおける初の外国人チーフデザイナーとして知られていました。

 ダイムラー・クライスラー在籍時の2001年、三菱が同社の傘下に入るとデザイン部門のトップに任命され、三菱車共通のデザイン戦略としてグリル中央に富士山型のアクセントが配置された、通称「ブーレイ顔」の導入を推し進めました。

 しかし、ランサーエボリューションVIIIでは、富士山型グリルへの変更は不評を買ってしまい、ランサーエボリューションIVにマイナーチェンジした際には「ブーレイ顔」は廃止されてしまいました。

●スバル「R2」

 2003年に発売されたスバル「R2」は、ギリシャ出身のカーデザイナー、アンドレアス・ザパティナスによってデザインされました。

 ザパティナスは、フィアットグループやBMWのデザイナーを経て、2002年にチーフデザイナーとしてスバルに入社。まず軽自動車のR2を担当しました。

 航空機をモチーフに採り入れ、スバルのルーツと技術力を表現したスプレッドウィングスグリルを、初採用しましたが、このグリルには賛否両論がありました。

 さらにR2の居住空間は広いとはいえず、メインターゲットとなる女性層からの支持を得られませんでした。

 R2は2005年のマイナーチェンジの時にスプレッドウィングスグリルをやめ、フロントフェイスのデザインが変更されています。

 その後ザパティナスは、いくつかのモデルのデザインを手がけた後、わずか4年後の2006年にスバルを去ることになります。

※ ※ ※

 今回紹介したクルマは、どれもユニークなデザインばかりですが、他にも外国人デザイナー監修のクルマは数多くあります。

 こうしたデザイナーは確かに優秀でしたが、なかには失敗作といわれたモデルもあります。

 例えば2代目の日産「ブルーバード」は、数多くのフェラーリのモデルを手がけたピニンファリーナによるデザインでしたが、市場では不評だったため、マイナーチェンジ時に日産社内でデザインしなおしたほどです。

 優れたデザインであっても、ユーザーから好まれるか好まれないかで明暗が別れるということでしょう。

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