ニュル24時間でLC優勝&スープラ3位! 豊田社長が挑戦し続ける理由とは
TGRにとって13回目となるニュルへの挑戦
チームにとっても豊田氏にとっても特別な日となった、今回の挑戦を終えて豊田氏は次のように話します。
「まず最初に皆さん、ありがとうございました。今日は、成瀬さんの命日でありました。
私が午前中、10時から乗るということを聞きまして、実は予定では9時でした。それが10時になったという意味を自分なりに考えますと、ちょうど6月23日の現地時間10時にくらいに事故が起きて、亡くなった時間だったんですね。それで私が成瀬さんの事故の時間にハンドルを握ることになるんだということで、非常に緊張をいたしました。
このスープラのカムバック、そして、ニュル13年目の挑戦。いろんな思いが、その3回目のスティントで頭に入って、正直運転どころではなかったというのが正直な感想でありました。
ただ、今日、皆さんが話してくれたことを成瀬さんは聞いてます。成瀬さんが亡くなったとき、葬儀に行きました。そこでやりたいと思うやつだけでいい、ついてきてくれということで続いてきたGR活動です。これが多くの方に応援され、もっといいクルマづくり、クルマづくりの人材育成のど真ん中に、この活動が入ってきたというふうに思います。
本当にここまで支えてくれた皆さんに感謝申し上げると共に、私は、この話になると涙ぐむんですね。なぜかとクルマのなかで考えてみました。多分、悔しさです。
13年前、トヨタも名乗れず、このニュルで、成瀬さんとほぼ2人でプライベーターよりもプライベーターらしい、本当に手づくりのチームでここに来ました。
そのときの誰からも応援されない悔しさ、何をやってもまともに見てくれない悔しさ、何をやっても、ハスに構えて見られてしまう悔しさ。そして生産中止になったスープラで練習をしてる悔しさ。全ての悔しさが、私自身その成瀬さんが亡くなった6月23日に社長に就任したときからの、ずっと私のブレない軸でもあります。
ですから、私がもっといいクルマをつくろうよということだけしか、社長になっていわないのは全てその悔しさであります。そして今日も、悔し涙を流した。
その悔しさは絶対に自分を強くするし、この活動の目的である『良い仲間』をつくるし、そしてもっといいクルマをつくると思います。そんな思いを持って、冒頭『ありがとうございました』と皆さんに申し上げました。
本来はこのレース、(ずっとスープラの開発を担当してきた)矢吹が出るレースだったと思います。それをスタート、フィニッシュを含めた4スティントを担当させていただきましたが、こういう日でなければ、『矢吹お前乗れよ』といってたと思います。
私自身も、この日、スープラ、ニュルというもので成瀬さんから、『いやいやお前乗れ、俺と一緒に乗ろう』といってくれたんだと思います。
今日の話は間違いなく、成瀬さんは聞いてくれているし、この天気も、成瀬さんだったんだと思います。ドライバーとしては足を引っ張りましたが、ほかのプロたちがカバーしてくれました。ありがとうございました」
【了】
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