日本初の市販ミッドシップ・モデル トヨタ「MR2」の変遷をたどる
製造業として初めて売上5兆円を突破したトヨタが1984年に販売した「MR2」は、同年の「日本カー・オブ・ザ・イヤー」も受賞し、人気を博しました。その歴史を振り返ります。
「ミッドシップ・ラナバウト・2シーター」を車名の由来に持つ初代MR2
故・プリンスのアルバム「パープル・レイン」の大ヒットや、アメリカのアップルコンピューターによるパソコン「Macintosh」(マッキントッシュ)シリーズの発売、ロサンゼルスオリンピックで柔道の山下泰裕選手が金メダルを獲得するなど、多くの話題で盛り上がった1984年。製造業で初の売上高5兆円企業となったトヨタは「他社にはないクルマ」を市場投入するべく、同年の6月にリアミッドシップ・レイアウト(エンジンを車体の中心近くに配置)の個性的な小型スポーツカー「MR2」を発売しました。
前年に発売され好評だった、FF化されたカローラ/スプリンター(E80系)の足回りとパワートレインを流用することで、開発期間の短縮と低価格化を図った同モデルは、当時の国産スポーツカーとしては希少なエンジンレイアウトと完全な2シーター、デザイン性の高さで1984年から1985年の「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。
「G」と「G-Limited」の2つがラインナップされた初代「MR2」は、カローラレビン/スプリンタートレノ(AE86型)に搭載されていた130PS/6600rpmを発揮する「4A-GEU型」を横置きに搭載することで、背後からの刺激的なエンジン・サウンドを楽しむことが可能でした。
実際にドライブすると、安定志向に振られたロール角の深いサスペンション設定ゆえに、コーナー脱出時にスロットルを踏み込むタイミングを誤るとアンダーステア傾向が強く、速く走らせるにはドライバーの腕が必要でした。
また刺激的な高回転型のエンジン特性も、同時期のホンダ「CR-X/シビック」に搭載された全域でストレスなく回るエンジンに比べ、扱いにくい印象を受けるものでした。
1986年8月のマイナーチェンジで後期モデルとなった初代「MR2」は、バンパーやスポイラーなどがボディと同色とされ洗練されたルックスになりましたが、最大の特徴は1.6リッター4気筒DOHC16バルブの「4A-GEU型」にスーパーチャージャーを装着することで145PSを絞り出した「4A-GZE型」エンジンです。
エンジンの軸出力で駆動されるスーパーチャージャーは、エンジン回転数に応じた過給圧を得られることから、排気圧を利用して過給するターボチャージャーと異なり、自然なレスポンスのまま高出力化することが可能です。その反面で高回転域での機械損失が増えるためスポーツカーには不向きとも言われていました。
しかし、高回転型で低中速回転域のトルクが細かった「4A-GEU型」エンジンとスーパーチャージャーの相性は意外にもよく、ゼロスタートや追越し加速時などでは大きな効果を発揮しました。また、このエンジンは開発中で重い「クラウン」も軽々と走らせたとも報じられています。
初期モデルでは酷評されることが多かったサスペンションも、ショックアブソーバーの減衰力やスプリングレートの変更、リアスタビライザーの追加などでロールが抑えられたスポーティなものとされています。
このマイナーチェンジにより「MR2」は初代のコンセプトである「ミッドシップ・ラナバウト」から「ミッドシップ・スポーツ」へと評価が変わっていきました。
また、後期モデルに用意されたTバールーフ仕様やブルーパールマイカ塗装も人気で、決して実用性が高くない2シーター・リアミッドシップ・レイアウトの小型スポーツカーですが、街でよく見かけられるほど好調に販売されました。