「白いクラウン」がオーナーの夢となった3代目クラウン 個人向けへと大きくシフトチェンジ
クラウンと言えば、トヨタが誇る高級セダンであり日本の高級車の代名詞とも言えるクルマです。1967年に登場した3代目では、法人向けから個人向けへと大きくシフトチェンジが図られました。
いざなぎ景気で個人の所得が拡大
日本における高級車の代名詞とも言える「クラウン」。1967年に登場した3代目クラウンでは、法人向けから個人向けへと大きくシフトチェンジが図られました。
3代目クラウン(トヨペット・クラウン)が発売されたのは1967年9月のことでした。1964年の東京オリンピックを経て、1965年から1970年まで続く空前の好景気であるいざなぎ景気のまっただなかであるこの年、日本はイギリスの女優であるツィッギーが来日しミニスカートがブームとなったり、『ルパン三世』や『あしたのジョー』が連載を開始したりするなど、高度経済成長の時代を謳歌していました。
日本企業が力をつけたことで、そこで働く個人の所得が拡大したのです。その一方で、公害が社会問題化するなど、急成長のひずみも露見された時代です。
すでに日本を代表する産業へと成長していた自動車産業にとって、1967年は数々の名車が誕生した「伝説の年」と言われています。トヨタからは、いまなお日本車市場最高額で取引されている2000GTが発売されたほか、2018年6月に4代目へとフルモデルチェンジされた最高級車センチュリーの初代がデビューしました。
そのほか、初代ハイエースや55/56型ハイエースなど、いまなおトヨタの主力となるモデルが登場しました。トヨタ以外では、ホンダからはN360が登場し、国民車の座をスバル・360から奪い取り、マツダからは世界初のロータリーエンジン搭載車であるコスモスポーツが発売されました。
個人の所得が向上したことで、クーラー(エアコン)・カラーテレビ、そしてカー(自動車)の“3C”が「三種の神器」と呼ばれるようになり、個人のさまざまなニーズに合わせ、さまざまなクルマが登場するようになったのです。
楽な道のりではなかったものの、日本初の国産高級乗用車としての地位を確立していたクラウンですが、こうした時代背景から、個人向けモデルへとシフトチェンジするのは自然な流れだったと言えるでしょう。